高校化学では、電子は原子核のまわりの K殻・L殻・M殻 という「殻」に収容されると学びます。
各殻に入る電子の最大数(2, 8, 18, ...)は暗記事項であり、「なぜその数なのか」は説明されません。
大学化学では、4つの量子数($n, l, m_l, m_s$)を使って電子の状態を記述します。
この枠組みでは、K殻・L殻・M殻は量子数 $n$ の値に対応し、各殻の中はさらに s, p, d, f という形の異なる軌道に分かれます。
電子配置のルール ── どの軌道にどの順序で電子が入るか ── は、4つの量子数とわずか3つの原理から自然に導かれます。
高校化学では、原子核のまわりに電子が存在する領域を電子殻と呼び、内側から K殻、L殻、M殻、N殻、... と名付けます。 各殻に収容できる電子の最大数は次の通りです。
| 電子殻 | K殻 | L殻 | M殻 | N殻 |
|---|---|---|---|---|
| 最大電子数 | 2 | 8 | 18 | 32 |
これらの数は $2n^2$($n = 1, 2, 3, 4, ...$)という公式で表されますが、高校ではこの公式がなぜ成り立つかは説明されません。 電子はエネルギーの低い殻(内側)から順に入っていくと教わり、各原子の電子配置を書きます。 たとえばナトリウム(Na, 原子番号 11)は K殻に2個、L殻に8個、M殻に1個で、(2, 8, 1) と表記します。
この電子殻モデルは、周期表の構造を理解するうえで十分に役立ちます。 しかし、いくつかの疑問には答えられません。
これらの疑問に答えるのが、大学で学ぶ量子数と電子軌道の枠組みです。 次のセクションでは、この枠組みの全体像を確認します。
大学化学では、電子の状態を量子数という整数(または半整数)の組で記述します。 高校の電子殻モデルでは殻の番号(K, L, M, ...)だけで電子を区別していましたが、 量子数を使うと殻の中をさらに細かく分類でき、電子1個1個の状態を区別できるようになります。
この記事を読み終えると、以下のことができるようになります。
1. 4つの量子数($n, l, m_l, m_s$)の意味と取りうる値を説明できる
2. 各殻の最大電子数 $2n^2$ がなぜ成り立つか、量子数の組合せを数えて導ける
3. s, p, d, f 各軌道の特徴(形状・方向性・ノード数)を記述できる
4. 構成原理(Aufbau原理)、パウリの排他原理、フントの規則を使って、任意の原子の電子配置を書ける
5. カリウムや鉄の電子配置が「例外」ではなく、軌道エネルギーの順序から必然的に導かれることを理解できる
これらを理解するために、まず4つの量子数を一つずつ導入します。
量子力学によると、原子中の電子の状態は4つの量子数で完全に指定されます。 これは住所にたとえると、「都道府県・市区町村・番地・部屋番号」のように、4段階で場所を絞り込んでいくものです。 4つの量子数を順に導入します。
主量子数 $n$ は正の整数($n = 1, 2, 3, 4, ...$)をとり、電子のエネルギーの大まかなレベルを決めます。 $n$ が大きいほど、電子は原子核から遠い位置に存在しやすく、エネルギーが高くなります。
高校で学んだ電子殻との対応は次の通りです。
| 主量子数 $n$ | 1 | 2 | 3 | 4 |
|---|---|---|---|---|
| 電子殻 | K殻 | L殻 | M殻 | N殻 |
つまり、高校で「K殻にある電子」と言っていたのは、大学では「$n = 1$ の電子」と表現されます。 主量子数は電子殻に対応するため、この段階では高校の知識と一致しています。
方位量子数 $l$ は、$0$ から $n - 1$ までの整数をとります。 $n = 1$ なら $l = 0$ の1種類だけ、$n = 2$ なら $l = 0, 1$ の2種類、$n = 3$ なら $l = 0, 1, 2$ の3種類、というように $n$ の値によって取りうる範囲が決まります。
$l$ の各値には、慣例的に次のアルファベットが割り当てられています。
| $l$ の値 | 0 | 1 | 2 | 3 |
|---|---|---|---|---|
| 軌道の名称 | s 軌道 | p 軌道 | d 軌道 | f 軌道 |
方位量子数 $l$ は、電子軌道の形状を決める量子数です。 $l$ の値が異なれば、電子が原子核のまわりに存在する空間的な広がり方(形)が異なります。 各軌道の具体的な形状はセクション4で説明します。
ここで重要なのは、高校の電子殻モデルでは見えなかった「殻の中の構造」が、$l$ によって現れるということです。 たとえば L殻($n = 2$)は一枚岩ではなく、$l = 0$(2s軌道)と $l = 1$(2p軌道)という2つの区画に分かれています。
磁気量子数 $m_l$ は、$-l$ から $+l$ までの整数をとります。 つまり、$l = 0$ なら $m_l = 0$(1通り)、$l = 1$ なら $m_l = -1, 0, +1$(3通り)、$l = 2$ なら $m_l = -2, -1, 0, +1, +2$(5通り)です。
$m_l$ は軌道の空間的な向きを指定します。 p軌道($l = 1$)が $m_l = -1, 0, +1$ の3通りあるということは、p軌道は3つの異なる向き($x$ 方向、$y$ 方向、$z$ 方向)を持つことに対応しています。 同様に、d軌道($l = 2$)は5通りの向きを持ちます。
一般に、方位量子数 $l$ に対して磁気量子数は $2l + 1$ 通りの値をとります。 これが、各種類の軌道に含まれる軌道の「本数」を決めます。
| 軌道の種類 | $l$ | $m_l$ の値 | 軌道の本数 |
|---|---|---|---|
| s | 0 | 0 | 1 |
| p | 1 | $-1, 0, +1$ | 3 |
| d | 2 | $-2, -1, 0, +1, +2$ | 5 |
| f | 3 | $-3, -2, -1, 0, +1, +2, +3$ | 7 |
スピン量子数 $m_s$ は、$+\frac{1}{2}$ または $-\frac{1}{2}$ の2つの値だけをとります。 これは電子が持つ固有の性質(スピン角運動量)に対応しており、古典的に言えば「右回り」と「左回り」のようなものです。 ただし、電子が実際に回転しているわけではなく、量子力学的な性質として $m_s$ は2つの値しか取れないことが実験的に確かめられています。
スピン量子数の意味は、「1つの軌道($n, l, m_l$ が同じ状態)に電子は最大2個まで入れる」ということです。 2個の電子は $m_s = +\frac{1}{2}$ と $m_s = -\frac{1}{2}$ という異なるスピンを持たなければなりません。
主量子数 $n = 1, 2, 3, 4, \ldots$(正の整数)
方位量子数 $l = 0, 1, 2, \ldots, n-1$($n$ 個の値をとる)
磁気量子数 $m_l = -l, -l+1, \ldots, 0, \ldots, +l$($2l+1$ 個の値をとる)
スピン量子数 $m_s = +\frac{1}{2}, -\frac{1}{2}$(2つの値のみ)
これらの量子数は量子力学(シュレーディンガー方程式)の解として自然に現れるものです。 人間が便宜的に決めた規約ではなく、水素原子に対する方程式を解くと、 解が存在するための条件としてこれらの整数(半整数)条件が導かれます。
ここまでの量子数の取りうる値を使えば、各殻の最大電子数を数えることができます。 主量子数 $n$ の殻に含まれる状態の総数を計算します。
ステップ1:$l$ は $0$ から $n-1$ まで、合計 $n$ 通りの値をとります。
ステップ2:各 $l$ に対して、$m_l$ は $2l + 1$ 通りの値をとります。したがって、軌道の総数は次の通りです。
$$\sum_{l=0}^{n-1} (2l + 1) = 1 + 3 + 5 + \cdots + (2n - 1) = n^2$$
ステップ3:各軌道に $m_s = \pm \frac{1}{2}$ の電子が2個ずつ入るので、状態の総数は $2n^2$ です。
この結果を表にまとめます。
| $n$(殻) | $l$ の値 | 軌道の種類と本数 | 軌道の総数 $n^2$ | 最大電子数 $2n^2$ |
|---|---|---|---|---|
| 1(K殻) | 0 | 1s: 1本 | 1 | 2 |
| 2(L殻) | 0, 1 | 2s: 1本, 2p: 3本 | 4 | 8 |
| 3(M殻) | 0, 1, 2 | 3s: 1本, 3p: 3本, 3d: 5本 | 9 | 18 |
| 4(N殻) | 0, 1, 2, 3 | 4s: 1本, 4p: 3本, 4d: 5本, 4f: 7本 | 16 | 32 |
高校で暗記していた $2n^2$ の公式が、量子数の組合せを数えるだけで自然に導かれました。 ここまでで4つの量子数の定義と、それが殻の最大電子数を説明することを確認しました。 次のセクションでは、量子数 $l$ の違いが軌道の「形」にどう反映されるかを見ていきます。
セクション3で、方位量子数 $l$ が軌道の形状を決めることを述べました。 ここでは、$l = 0, 1, 2, 3$(s, p, d, f)のそれぞれについて、空間的な特徴を説明します。
軌道とは、「電子がそこに存在する確率が高い空間領域」のことです。 電子は特定の軌道上を回っているわけではなく、原子核のまわりに確率的に分布しています。 軌道の形は、その確率分布の等高面(電子の存在確率が一定値になる面)として描かれます。
s 軌道は球対称です。原子核を中心とした球状の領域に電子が存在します。 方向による偏りがなく、$x$ 方向にも $y$ 方向にも $z$ 方向にも同じように広がっています。 磁気量子数は $m_l = 0$ の1通りだけなので、s 軌道は各殻に1本だけ存在します。
主量子数が大きくなると(1s → 2s → 3s → ...)、球の半径が大きくなり、電子は原子核からより遠い位置に広がります。 また、2s 以上の s 軌道では、球の内部に節面(ノード)と呼ばれる電子の存在確率がゼロの球面が現れます。 節面の数は $n - 1$ 個であり、1s には 0 個、2s には 1 個、3s には 2 個の節面があります。
p 軌道はダンベル(亜鈴)型で、原子核を挟んで両側に伸びた2つの「ふくらみ」を持ちます。 原子核を含む面を境に、一方がプラス、もう一方がマイナスの符号を持ちます(これは波動関数の符号であり、電荷のプラスマイナスとは無関係です)。
$m_l = -1, 0, +1$ の3通りに対応して、p 軌道は3本あります。 これらは互いに直交しており、それぞれ $x$ 軸、$y$ 軸、$z$ 軸方向に伸びています。 そのため、$p_x$、$p_y$、$p_z$ と呼ばれます。
p 軌道が存在するのは $n \geq 2$ のときだけです。$n = 1$ では $l = 0$(s 軌道)しか取れないため、p 軌道はありません。 これが、K殻($n = 1$)に s 軌道しかなく、L殻($n = 2$)から p 軌道が加わる理由です。
d 軌道は、多くの場合四つ葉のクローバーのような形をしています。 4つの「ふくらみ」が原子核のまわりに十字に配置されます。 ただし、5本の d 軌道のうち1本($d_{z^2}$ と呼ばれるもの)は他と異なる形状で、$z$ 軸方向に伸びたダンベルの周囲にドーナツ状の環が巻きついた形をしています。
$m_l = -2, -1, 0, +1, +2$ に対応して、d 軌道は5本あります。 d 軌道が存在するのは $n \geq 3$ のときです。したがって、M殻($n = 3$)から d 軌道が初めて現れます。
f 軌道は d 軌道よりもさらに複雑な形状を持ち、6つや8つの「ふくらみ」を持つものが含まれます。 $m_l$ が7通りあるため、f 軌道は7本あります。 f 軌道は $n \geq 4$(N殻以降)で初めて現れ、ランタノイドやアクチノイドと呼ばれる元素の電子配置で重要になります。
各軌道に含まれるノード(電子の存在確率がゼロになる面)の総数は $n - 1$ 個です。 このうち、原子核を通る平面状のノード(角度ノード)が $l$ 個あり、残りの $n - 1 - l$ 個は球面状のノード(動径ノード)です。
| 軌道 | $n$ | $l$ | 角度ノード ($l$) | 動径ノード ($n - 1 - l$) | 合計 ($n - 1$) |
|---|---|---|---|---|---|
| 1s | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 2s | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 |
| 2p | 2 | 1 | 1 | 0 | 1 |
| 3s | 3 | 0 | 0 | 2 | 2 |
| 3p | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 |
| 3d | 3 | 2 | 2 | 0 | 2 |
s, p, d, f という名称は、19世紀の分光学に由来します。 原子のスペクトル線を観察したとき、線の見え方に応じて sharp(鋭い)、principal(主要な)、diffuse(散漫な)、fundamental(基本の)と分類したことが起源です。 $l = 4$ 以降は f に続くアルファベット順で g, h, ... と呼ばれますが、通常の化学ではほとんど使いません。
ここまでで、4つの量子数が定義する「軌道」がどのような空間的特徴を持つかを確認しました。 量子数の組合せで殻の構造が決まり、各軌道には固有の形状があります。 次のセクションでは、これらの軌道に電子がどのような順序で入っていくかを決める3つの原理を導入し、 セクション1で挙げた「カリウムの電子配置はなぜ (2, 8, 8, 1) なのか」という疑問に答えます。
原子の電子配置を決めるには、セクション3で導入した量子数に加えて、「どの軌道にどの順序で電子が入るか」を決めるルールが必要です。 このルールは3つの原理で構成されます。
1つの原子の中で、4つの量子数 $(n, l, m_l, m_s)$ がすべて同じ電子は2個以上存在できない。
これは1925年にパウリが提唱した原理で、量子力学の基本原理の一つです。 実験事実から帰納的に導かれたもので、他の原理から導出することはできません。 この原理から、1つの軌道($n, l, m_l$ が同じ)には $m_s = +\frac{1}{2}$ と $m_s = -\frac{1}{2}$ の電子が最大2個しか入れないことが直ちにわかります。
パウリの排他原理は、セクション3で「1つの軌道には最大2個」と述べたことの根拠です。 高校では「各殻に入る電子の最大数」として結果だけを学びますが、その背後にはこの原理があります。
原子が最も安定な状態(基底状態)にあるとき、電子はエネルギーの低い軌道から順に詰めていきます。 これを構成原理(Aufbau原理、ドイツ語で「積み上げ」の意味)と呼びます。
ここで重要なのは、軌道のエネルギー順序が「殻の番号 $n$ の順序」と一致しないことがあるという点です。 水素原子(電子が1個だけの場合)では、軌道のエネルギーは $n$ だけで決まり、$n$ が同じなら s も p も d も同じエネルギーです。 しかし、電子が2個以上ある原子(多電子原子)では、電子同士の反発の影響で、同じ $n$ でも $l$ の値によってエネルギーが異なります。
多電子原子における軌道のエネルギー順序は、おおむね次のようになります。
1s < 2s < 2p < 3s < 3p < 4s < 3d < 4p < 5s < 4d < 5p < 6s < 4f < 5d < 6p < 7s < 5f < 6d < 7p
特に注目すべきは、4s 軌道が 3d 軌道よりも先にエネルギーが低くなるという点です。 $n = 3$ の d 軌道よりも $n = 4$ の s 軌道のほうがエネルギーが低い ── これが「殻の番号順」からのずれの原因です。
高校の理解:電子は K殻 → L殻 → M殻 → N殻 と、内側の殻が埋まってから次の殻に進む。
大学の理解:電子はエネルギーの低い軌道から順に入る。 殻の中にはエネルギーの異なる複数の軌道(s, p, d, f)があり、あるときは「次の殻の s 軌道」が「前の殻の d 軌道」よりも低エネルギーになる。 たとえばカリウム(K, 原子番号 19)では、3d 軌道よりも 4s 軌道のほうがエネルギーが低いため、19番目の電子は 4s に入る。 これが電子配置 (2, 8, 8, 1) = [Ar] 4s${}^1$ の理由です。
多電子原子での軌道エネルギーの順序には、便利な経験則があります。 $n + l$ の値が小さいほうがエネルギーが低く、$n + l$ が同じ場合は $n$ が小さいほうがエネルギーが低いとするものです。 これを$(n + l)$ ルール(マーデルングの規則)と呼びます。
たとえば 3d 軌道は $n + l = 3 + 2 = 5$、4s 軌道は $n + l = 4 + 0 = 4$ です。 $n + l$ の値は 4s のほうが小さいので、4s が先に埋まります。 このルールは厳密な法則ではなく経験的な目安ですが、多くの原子の電子配置を正しく予測できます。
エネルギーが等しい複数の軌道(たとえば 3つの 2p 軌道)に電子を入れるとき、次のルールが適用されます。
エネルギーが等しい複数の軌道に電子を配置するとき、スピンの向きを揃えて、できるだけ多くの軌道に1個ずつ入れる。
たとえば、3つの p 軌道に電子を3個入れる場合、1つの軌道に2個入れるのではなく、 3つの軌道に1個ずつ、同じスピンの向き(たとえばすべて $m_s = +\frac{1}{2}$)で入れます。 これは、同じスピンの電子同士はパウリの排他原理により互いに近づけないため、 電子間の反発が小さくなり、全体のエネルギーが低くなるからです。
フントの規則を具体例で確認します。 窒素(N, 原子番号 7)の電子配置は 1s${}^2$ 2s${}^2$ 2p${}^3$ です。 2p 軌道は3本あり($p_x, p_y, p_z$)、そこに3個の電子を入れます。 フントの規則により、各軌道に1個ずつ、すべて同じスピンの向きで配置します。
| 軌道 | $p_x$ | $p_y$ | $p_z$ |
|---|---|---|---|
| 電子のスピン | $\uparrow$ | $\uparrow$ | $\uparrow$ |
一方、酸素(O, 原子番号 8)の電子配置は 1s${}^2$ 2s${}^2$ 2p${}^4$ です。 2p 軌道3本に4個の電子を入れるので、まず3本に1個ずつ入れ(フントの規則)、4個目は既に1個入っている軌道に反対のスピンで入ります。
| 軌道 | $p_x$ | $p_y$ | $p_z$ |
|---|---|---|---|
| 電子のスピン | $\uparrow\downarrow$ | $\uparrow$ | $\uparrow$ |
原子の電子配置は、次の3つの原理だけで一意に決定されます。
1. パウリの排他原理:1つの軌道に入れる電子は最大2個(スピンが逆向き)
2. 構成原理(Aufbau原理):エネルギーの低い軌道から順に電子を入れる
3. フントの規則:エネルギーが等しい軌道には、スピンを揃えて1個ずつ入れる
高校で「暗記事項」だった電子配置のパターンは、これら3つの原理を適用するだけで自然に導かれます。
ここまでで、電子配置を決めるための道具(4つの量子数 + 3つの原理)がすべて揃いました。 次のセクションでは、これらを使って具体的な原子の電子配置を書き、 セクション1で提起した「カリウムや鉄の電子配置はどう決まるのか」という問いに答えます。
大学化学では、電子配置を「軌道表記」で書きます。 たとえば 1s${}^2$ 2s${}^2$ 2p${}^6$ のように、軌道の名前の右肩にその軌道に入っている電子の数を書きます。 「1s${}^2$」は「1s 軌道に電子が2個」を意味します。
電子6個を、構成原理に従ってエネルギーの低い軌道から順に入れていきます。
電子配置:1s${}^2$ 2s${}^2$ 2p${}^2$
高校の電子殻モデルでは (2, 4) と書きます。大学の表記では、L殻($n = 2$)の中が 2s と 2p に分かれていることが見えます。
セクション1で問題にした「なぜカリウムの電子配置は (2, 8, 8, 1) なのか」に答えます。
電子配置:1s${}^2$ 2s${}^2$ 2p${}^6$ 3s${}^2$ 3p${}^6$ 4s${}^1$(省略表記:[Ar] 4s${}^1$)
高校の表記 (2, 8, 8, 1) を軌道表記で読み解くと、M殻の「8」は 3s${}^2$ 3p${}^6$ であって 3d は空のままであることがわかります。 N殻の「1」は 4s${}^1$ です。殻の番号順($n$ の順)ではなく、軌道のエネルギー順に電子が入った結果です。
カリウム以降の遷移金属では、3d 軌道への電子の充填が始まります。
電子配置:[Ar] 3d${}^6$ 4s${}^2$
高校の表記 (2, 8, 14, 2) では、M殻に「14」個の電子が入っています。 軌道表記で見ると、M殻の14個は 3s${}^2$ 3p${}^6$ 3d${}^6$ と分解されます。 M殻の最大容量は18個(3d${}^{10}$ まで入る)ですが、鉄では 3d が6個で止まっています。 残りの d 軌道が完全に埋まるのは亜鉛(Zn, 原子番号 30)で、[Ar] 3d${}^{10}$ 4s${}^2$ となります。
構成原理と $(n+l)$ ルールに従えば、クロムの電子配置は [Ar] 3d${}^4$ 4s${}^2$ と予測されます。 しかし、実際の電子配置は [Ar] 3d${}^5$ 4s${}^1$ です。 同様に、銅は [Ar] 3d${}^9$ 4s${}^2$ ではなく [Ar] 3d${}^{10}$ 4s${}^1$ です。
これは、d 軌道が半充填(5個で全軌道に1個ずつ)や全充填(10個で全軌道に2個ずつ)になると、 電子配置が特に安定になるためです。 4s から 3d に電子を1個移すことでこの安定性を得るほうが、全体としてエネルギーが低くなります。 これらは構成原理の「例外」とされますが、エネルギー最小化という根本原理に従っている点では一貫しています。
d 軌道の半充填($d^5$)や全充填($d^{10}$)が特に安定になる理由は、 同じスピンを持つ電子間に働く交換相互作用というエネルギーの低下効果にあります。 同じスピンの電子の対が多いほど交換エネルギーの安定化が大きくなり、 $d^5$(すべて上向きスピン、10対の同スピン電子対)と $d^{10}$(すべてペア、やはり10対)で この安定化が最大になります。 この効果の定量的な議論は量子力学の範囲に踏み込むため、ここでは「半充填と全充填は特別に安定」 という事実として理解しておけば十分です。
ここまでの具体例を通じて、高校の電子殻モデルが量子数による軌道モデルのどのような「粗い近似」であるかが明らかになりました。
| 原子 | 原子番号 | 高校の表記 | 大学の軌道表記 |
|---|---|---|---|
| C | 6 | (2, 4) | 1s${}^2$ 2s${}^2$ 2p${}^2$ |
| Na | 11 | (2, 8, 1) | [Ne] 3s${}^1$ |
| K | 19 | (2, 8, 8, 1) | [Ar] 4s${}^1$ |
| Fe | 26 | (2, 8, 14, 2) | [Ar] 3d${}^6$ 4s${}^2$ |
| Cu | 29 | (2, 8, 18, 1) | [Ar] 3d${}^{10}$ 4s${}^1$ |
電子殻モデルは「各殻に何個」という情報を与えますが、殻の中の構造(どの軌道に何個)は見えません。 軌道モデルでは殻の中身が s, p, d, f に分解され、電子配置の「なぜ」が説明できます。
Q1. $n = 3$ の殻には何本の軌道があり、最大何個の電子が入りますか。各軌道の内訳(s, p, d)も答えてください。
Q2. 方位量子数 $l = 2$ の軌道に対して、磁気量子数 $m_l$ はどのような値をとりますか。この軌道は何と呼ばれ、何本ありますか。
Q3. パウリの排他原理から、「1つの軌道には最大2個の電子しか入れない」ことを説明してください。
Q4. カリウム(原子番号 19)の電子配置を軌道表記で書き、19番目の電子が 3d ではなく 4s に入る理由を説明してください。
以下の元素について、電子配置を軌道表記で書いてください。
(a) リチウム Li(原子番号 3)
(b) 塩素 Cl(原子番号 17)
(c) カルシウム Ca(原子番号 20)
(a) Li:1s${}^2$ 2s${}^1$
(b) Cl:1s${}^2$ 2s${}^2$ 2p${}^6$ 3s${}^2$ 3p${}^5$(省略表記:[Ne] 3s${}^2$ 3p${}^5$)
(c) Ca:1s${}^2$ 2s${}^2$ 2p${}^6$ 3s${}^2$ 3p${}^6$ 4s${}^2$(省略表記:[Ar] 4s${}^2$)
構成原理に従い、エネルギーの低い軌道から順に電子を配置します。(c) のカルシウムでは、アルゴン配置の次に 4s 軌道が 3d 軌道より先に埋まることに注意してください。
$n = 4$ の殻(N殻)に含まれる軌道の種類・本数・最大電子数を、量子数の取りうる値を数えることで求めてください。 計算過程を示してください。
$n = 4$ のとき、$l = 0, 1, 2, 3$ が取れます。
$l = 0$(s軌道):$m_l = 0$ → 1本
$l = 1$(p軌道):$m_l = -1, 0, +1$ → 3本
$l = 2$(d軌道):$m_l = -2, -1, 0, +1, +2$ → 5本
$l = 3$(f軌道):$m_l = -3, -2, -1, 0, +1, +2, +3$ → 7本
軌道の総数:$1 + 3 + 5 + 7 = 16 = 4^2 = n^2$ 本
最大電子数:$16 \times 2 = 32 = 2 \times 4^2 = 2n^2$ 個
窒素 N(原子番号 7)と酸素 O(原子番号 8)の電子配置を軌道表記で書き、 2p 軌道への電子の入り方の違いをフントの規則を用いて説明してください。
N:1s${}^2$ 2s${}^2$ 2p${}^3$
O:1s${}^2$ 2s${}^2$ 2p${}^4$
窒素(2p${}^3$):3つの 2p 軌道($p_x, p_y, p_z$)に電子を1個ずつ、すべて同じスピンの向きで配置します($\uparrow\;|\;\uparrow\;|\;\uparrow$)。フントの規則により、同じエネルギーの軌道にはスピンを揃えて1個ずつ入れるためです。
酸素(2p${}^4$):まず3つの軌道に1個ずつ入れた後(フントの規則)、4個目の電子は既に1個入っている軌道に反対のスピンで入ります($\uparrow\downarrow\;|\;\uparrow\;|\;\uparrow$)。パウリの排他原理により、同じ軌道の2個の電子はスピンが逆向きでなければなりません。
クロム Cr(原子番号 24)の電子配置は、構成原理からの単純な予測 [Ar] 3d${}^4$ 4s${}^2$ ではなく、 実際には [Ar] 3d${}^5$ 4s${}^1$ です。
(a) この電子配置が「構成原理の例外」と呼ばれる理由を説明してください。
(b) 3d${}^5$ 4s${}^1$ のほうが安定になる理由を、d 軌道の半充填の安定性に触れて説明してください。
(c) 同様の「例外」を示す銅 Cu(原子番号 29)の電子配置を書き、その理由を述べてください。
(a) 構成原理に従えば、エネルギーの低い軌道から順に電子を入れるので、4s 軌道に2個入れてから 3d 軌道に残りを入れ、[Ar] 3d${}^4$ 4s${}^2$ となるはずです。しかし実際には 4s から 3d に電子が1個移り、[Ar] 3d${}^5$ 4s${}^1$ となるため、「例外」と呼ばれます。
(b) d 軌道が半充填(5本の軌道にすべて1個ずつ、計5個)になると、同じスピンを持つ電子間の交換相互作用によるエネルギーの安定化が最大になります。この安定化のエネルギーが、4s から 3d に電子を移す際のエネルギーコストを上回るため、3d${}^5$ 4s${}^1$ のほうが 3d${}^4$ 4s${}^2$ より全体のエネルギーが低くなります。
(c) 銅の電子配置は [Ar] 3d${}^{10}$ 4s${}^1$ です。構成原理からの予測 [Ar] 3d${}^9$ 4s${}^2$ に対して、4s から 3d に電子が1個移っています。d 軌道が全充填(10個)になると、半充填と同様にエネルギーが特に安定化するためです。