高校化学では、イオン結合を「陽イオンと陰イオンの静電的引力による結合」と学び、格子エネルギーはヘスの法則を使ったエネルギー図から計算します。
この方法で正しい値は得られますが、格子エネルギーの計算に必要な各ステップ(昇華、イオン化、電子親和力、格子形成)がなぜその順序で現れるのかという全体像は見えにくい状態です。
大学化学では、ボルン・ハーバーサイクルという熱化学サイクルを使って、格子エネルギーを体系的に求めます。
このサイクルの各ステップは、第1章で学んだイオン化エネルギーと電子親和力をそのまま使います。
そして格子エネルギーの大小を比較することで、イオン結晶の融点や溶解度といった物性を定量的に予測できるようになります。
高校化学では、イオン結合について次のように学びます。
格子エネルギーの計算は、高校ではヘスの法則を使ったエネルギー図で行います。 たとえば NaCl の格子エネルギーを求めるとき、「Na(固体) と Cl$_2$(気体) から NaCl(固体) が生成する反応」の生成エンタルピーと、その経路を分解した各段階のエンタルピー変化を組み合わせます。
この方法は計算としては正しく機能しますが、「なぜこれらのステップを組み合わせると格子エネルギーが求まるのか」「このステップの並びにどのような物理的意味があるのか」という点は、高校の範囲では十分に説明されません。
次のセクションでは、大学化学の視点を導入することで、これらのステップを一つのサイクルとして体系的に理解し、さらに格子エネルギーを使って物性を予測できるようになることを確認します。
大学化学では、格子エネルギーの計算に現れる各ステップをボルン・ハーバーサイクル(Born-Haber cycle)という一つの熱化学サイクルとして整理します。 このサイクルは、「元素の単体からイオン結晶を作る」過程を、物理的に意味のある個別のステップに分解したものです。 各ステップが何を表しているかを理解すると、格子エネルギーの計算が「ヘスの法則による技巧」ではなく「物理的なプロセスの積み上げ」として見えるようになります。
この記事を読み終えると、以下のことができるようになります。
1. ボルン・ハーバーサイクルの5つのステップ(昇華、解離、イオン化、電子付加、格子形成)の物理的意味を説明できる
2. サイクルを組み立てて、任意のイオン結晶の格子エネルギーを導出できる
3. 格子エネルギーの大小を、イオンの電荷と半径から定性的に予測できる
4. 格子エネルギーの大小からイオン結晶の融点の高低を予測できる
5. C-1-3 で学んだイオン化エネルギー・電子親和力が、格子エネルギーの計算にどう組み込まれるかを理解できる
ボルン・ハーバーサイクルを構築するために、まず各ステップがどのような物理的プロセスに対応するかを一つずつ確認します。
NaCl を例にして、ボルン・ハーバーサイクルを構築します。 出発点は「Na(固体) と Cl$_2$(気体)」、到着点は「NaCl(固体)」です。 この出発点から到着点へ至る経路を、物理的に意味のある個別のステップに分解していきます。
まず、Na の固体を気体の Na 原子にします。固体の金属を構成原子に分解して気相に持っていくプロセスです。
$$\text{Na(s)} \rightarrow \text{Na(g)} \quad \Delta H_{\text{sub}} = +107 \; \text{kJ/mol}$$
このエンタルピー変化を昇華エンタルピー $\Delta H_{\text{sub}}$ と呼びます。 金属結合を切って原子をバラバラにし、さらに気化させるエネルギーが必要なので、正の値(吸熱)です。 この値は実験で測定された実測値です。
Cl$_2$ 分子を Cl 原子に分解します。Cl$_2$ は二原子分子なので、1 mol の Cl 原子を得るには $\frac{1}{2}$ mol の Cl$_2$ を解離させます。
$$\frac{1}{2}\text{Cl}_2\text{(g)} \rightarrow \text{Cl(g)} \quad \frac{1}{2}D = +\frac{1}{2} \times 242 = +121 \; \text{kJ/mol}$$
$D$ は Cl$_2$ の結合解離エンタルピー(実測値: 242 kJ/mol)です。共有結合を切るのにエネルギーが必要なので、こちらも正の値です。
気体の Na 原子から電子を1個取り去り、Na$^+$ イオンにします。
$$\text{Na(g)} \rightarrow \text{Na}^+\text{(g)} + e^- \quad I_1 = +496 \; \text{kJ/mol}$$
$I_1$ は Na の第一イオン化エネルギーです(📖 C-1-3 で詳しく解説)。 電子を原子核の引力に逆らって引き離すのでエネルギーが必要であり、正の値です。 この値は実験で測定された実測値です。
気体の Cl 原子に電子を1個与え、Cl$^-$ イオンにします。
$$\text{Cl(g)} + e^- \rightarrow \text{Cl}^-\text{(g)} \quad E_{\text{ea}} = -349 \; \text{kJ/mol}$$
$E_{\text{ea}}$ は Cl の電子親和力に対応するエンタルピー変化です(📖 C-1-3 で詳しく解説)。 Cl は電子を1個受け取ると希ガス(Ar)と同じ電子配置になるため安定化し、エネルギーが放出されます。したがって負の値(発熱)です。 この値も実験で測定された実測値です。
混乱しやすい点:高校の教科書では「電子親和力」を正の値(放出されるエネルギーの大きさ)として扱うことが多いです。 一方、ボルン・ハーバーサイクルではエンタルピー変化として扱うため、発熱過程は負の値になります。
正しい使い方:サイクルの中では、すべてのステップをエンタルピー変化($\Delta H$)の符号で統一します。 Cl の電子付加は発熱なので $\Delta H = -349 \; \text{kJ/mol}$ です。 「電子親和力 = 349 kJ/mol」と習った場合は、サイクルに組み込むときに符号を反転させてください。
最後に、気体状態の Na$^+$ と Cl$^-$ が集合してイオン結晶 NaCl(固体) を形成します。
$$\text{Na}^+\text{(g)} + \text{Cl}^-\text{(g)} \rightarrow \text{NaCl(s)} \quad \Delta H_{\text{lattice}}$$
この $\Delta H_{\text{lattice}}$ が格子エネルギーに対応するエンタルピー変化であり、ボルン・ハーバーサイクルで求めたい量です。 気体のイオンが結晶格子に組み込まれると、陽イオンと陰イオンの間のクーロン引力によってエネルギーが大きく放出されるので、$\Delta H_{\text{lattice}}$ は大きな負の値になると予想されます。
ここまでで5つのステップを確認しました。次のセクションでは、これらをヘスの法則でつないで、格子エネルギーの具体的な値を計算します。
ボルン・ハーバーサイクルの核心は、「元素の単体 → イオン結晶」への変化を2通りの経路で考えることです。
経路A(直接経路):元素の単体から直接 NaCl(固体) を生成する。このエンタルピー変化は NaCl の生成エンタルピー $\Delta H_f^\circ$ であり、実験で測定された値 $-411 \; \text{kJ/mol}$ です。
$$\text{Na(s)} + \frac{1}{2}\text{Cl}_2\text{(g)} \rightarrow \text{NaCl(s)} \quad \Delta H_f^\circ = -411 \; \text{kJ/mol}$$
経路B(5ステップ経路):セクション3で確認した5つのステップを経由する経路です。
エンタルピーは状態量なので、経路Aと経路Bのエンタルピー変化は等しくなります。これがヘスの法則です。
$$\Delta H_f^\circ = \Delta H_{\text{sub}} + \frac{1}{2}D + I_1 + E_{\text{ea}} + \Delta H_{\text{lattice}}$$
$\Delta H_f^\circ$:生成エンタルピー(実測値)、$\Delta H_{\text{sub}}$:昇華エンタルピー(実測値)、$D$:結合解離エンタルピー(実測値)、$I_1$:第一イオン化エネルギー(実測値)、$E_{\text{ea}}$:電子付加エンタルピー(実測値)、$\Delta H_{\text{lattice}}$:格子エンタルピー(導出値)
この式はヘスの法則(エンタルピーが状態量であるという理論的原理)に基づいています。 右辺の5項のうち4項は実験で測定できるので、未知の $\Delta H_{\text{lattice}}$ を計算で求めることができます。 格子エネルギーは直接測定が困難なため、このように他の実測値から導出する値です。
上の式を $\Delta H_{\text{lattice}}$ について解きます。
$$\Delta H_{\text{lattice}} = \Delta H_f^\circ - \Delta H_{\text{sub}} - \frac{1}{2}D - I_1 - E_{\text{ea}}$$
各数値を代入します。
ステップ1:各数値を確認する
$\Delta H_f^\circ = -411 \; \text{kJ/mol}$(NaCl の生成エンタルピー、実測値)
$\Delta H_{\text{sub}} = +107 \; \text{kJ/mol}$(Na の昇華エンタルピー、実測値)
$\frac{1}{2}D = +121 \; \text{kJ/mol}$(Cl$_2$ の結合解離エンタルピーの半分、実測値)
$I_1 = +496 \; \text{kJ/mol}$(Na の第一イオン化エネルギー、実測値)
$E_{\text{ea}} = -349 \; \text{kJ/mol}$(Cl の電子付加エンタルピー、実測値)
ステップ2:代入する
$$\Delta H_{\text{lattice}} = (-411) - (+107) - (+121) - (+496) - (-349)$$
$$= -411 - 107 - 121 - 496 + 349$$
$$= -786 \; \text{kJ/mol}$$
結果:NaCl の格子エンタルピーは $-786 \; \text{kJ/mol}$ です。つまり、気体の Na$^+$ と Cl$^-$ が NaCl 結晶を形成するとき、786 kJ/mol のエネルギーが放出されます。逆にいえば、NaCl 結晶を気体のイオンにバラバラにするには 786 kJ/mol のエネルギーが必要です。
この値 786 kJ/mol は非常に大きいエネルギーです。参考までに、水 1 mol(18 g)を蒸発させるのに必要なエネルギーは約 41 kJ/mol ですから、NaCl の格子エネルギーはその約20倍にもなります。 イオン結晶の融点が一般に高いのは、この大きな格子エネルギーを反映しています。
格子エネルギーは、イオン結晶を気体イオンに分解する実験を直接行って測定することが困難です。結晶を加熱しても、気体イオンではなく融液や気体分子になるためです。
そのため、格子エネルギーはボルン・ハーバーサイクルを通じて他の実測値から計算で導出します。 生成エンタルピー、昇華エンタルピー、結合解離エンタルピー、イオン化エネルギー、電子親和力 ── これらはすべて実験で測定可能な量であり、格子エネルギーだけが「計算でしか求められない」量です。
ここまでで、ボルン・ハーバーサイクルを使って格子エネルギーを導出する方法を確認しました。 次のセクションでは、この格子エネルギーの大小を使って、イオン結晶の物性を予測します。
格子エネルギーはイオン間のクーロン引力の総和で決まります。 イオン結晶中では無数のイオンペアが相互作用しますが、基本となるのは陽イオンと陰イオンの1ペアあたりのクーロン引力です。 2つのイオン間のクーロンポテンシャルエネルギーは次の式で与えられます。
$$E = k\frac{q_+ q_-}{r}$$
$k$:クーロン定数($8.99 \times 10^9 \; \text{N} \cdot \text{m}^2/\text{C}^2$)、$q_+$:陽イオンの電荷、$q_-$:陰イオンの電荷、$r$:イオン間距離
$q_+$ は正、$q_-$ は負なので、$E$ は負の値(引力による安定化)になります。 この式はクーロンの法則から直接導かれます。 格子エネルギーの大きさはこの $E$ に比例するため、イオンの電荷が大きいほど、またイオン間距離が短いほど、格子エネルギーは大きくなります。
この式から、格子エネルギーの大小を決める2つの要因が読み取れます。
イオン結晶を融解(固体から液体に変える)するには、結晶格子を部分的に壊す必要があります。 格子エネルギーが大きい結晶ほど、イオン間の結合が強いので壊しにくく、融点が高くなります。
以下に、いくつかのイオン結晶の格子エネルギーと融点を示します。
| イオン結晶 | イオンの電荷 | 格子エネルギー (kJ/mol) | 融点 (${}^\circ\text{C}$) |
|---|---|---|---|
| NaF | $+1, -1$ | 923 | 993 |
| NaCl | $+1, -1$ | 786 | 801 |
| NaBr | $+1, -1$ | 747 | 747 |
| NaI | $+1, -1$ | 704 | 661 |
| MgO | $+2, -2$ | 3850 | 2852 |
| CaO | $+2, -2$ | 3461 | 2614 |
この表から2つのことが読み取れます。
第一に、イオンの電荷の影響です。 NaCl(1価同士、786 kJ/mol、融点 801${}^\circ\text{C}$)と MgO(2価同士、3850 kJ/mol、融点 2852${}^\circ\text{C}$)を比較すると、電荷が $+1, -1$ から $+2, -2$ に変わるだけで格子エネルギーは約5倍、融点は約2000${}^\circ\text{C}$ 高くなります。 電荷の積が4倍($1 \times 1 = 1$ → $2 \times 2 = 4$)になることに加え、Mg$^{2+}$ と O$^{2-}$ のイオン半径が Na$^+$ と Cl$^-$ より小さいため、イオン間距離も短くなっています。
第二に、イオン半径の影響です。 NaF → NaCl → NaBr → NaI の順に、陰イオンの半径が大きくなります(F$^-$: 133 pm、Cl$^-$: 181 pm、Br$^-$: 196 pm、I$^-$: 220 pm)。 陽イオン(Na$^+$)は共通なので、イオン間距離だけが変化しています。 格子エネルギーは 923 → 786 → 747 → 704 kJ/mol と減少し、融点もそれに連動して 993 → 801 → 747 → 661${}^\circ\text{C}$ と下がります。
イオン結晶の融点は格子エネルギーの大小と強い相関を持ちます。格子エネルギーが大きいほど融点は高くなります。
格子エネルギーの大小は、クーロンポテンシャルエネルギー $E = kq_+q_-/r$ に基づいて、次の2点から予測できます。
(1) 電荷:$|q_+q_-|$ が大きいほど格子エネルギーは大きい(MgO > NaCl)
(2) イオン半径:イオンが小さい($r$ が小さい)ほど格子エネルギーは大きい(NaF > NaI)
イオン結晶を水に溶かすとき、2つのプロセスが競合します。
溶解が起こるかどうかは、これらの競合の結果で決まります。 格子エネルギーが大きすぎると、水和で放出されるエネルギーでは格子を壊しきれず、溶解しにくくなります。 たとえば MgO(格子エネルギー 3850 kJ/mol)は水にほとんど溶けませんが、NaCl(786 kJ/mol)は水によく溶けます。
格子エネルギーの大小は溶解度の傾向をおおまかに予測するのに役立ちますが、実際の溶解度は水和エンタルピーとのバランスで決まります。 さらに、溶解は自由エネルギー変化 $\Delta G = \Delta H - T\Delta S$ で決まるため、エントロピー変化の寄与も無視できません。 格子エネルギーが大きくても水和エンタルピーが十分に大きければ溶けることがあり(例:CaCl$_2$)、格子エネルギーが小さくても特定の条件で溶けにくいこともあります。
溶解度の正確な予測にはギブズエネルギーの概念が必要です(📖 C-8-2 で詳しく解説)。
ここまでで、格子エネルギーの大小がイオンの電荷と半径で決まること、そしてその大小からイオン結晶の融点を予測できることを確認しました。 次のセクションでは、これらの知識を使って、複数のイオン結晶を具体的に比較する計算を行います。
NaCl と同じ手順で KCl の格子エネルギーを求め、NaCl と比較します。
| ステップ | プロセス | $\Delta H$ (kJ/mol) |
|---|---|---|
| 昇華 | $\text{K(s)} \rightarrow \text{K(g)}$ | $+89$ |
| 解離 | $\frac{1}{2}\text{Cl}_2\text{(g)} \rightarrow \text{Cl(g)}$ | $+121$ |
| イオン化 | $\text{K(g)} \rightarrow \text{K}^+\text{(g)} + e^-$ | $+419$ |
| 電子付加 | $\text{Cl(g)} + e^- \rightarrow \text{Cl}^-\text{(g)}$ | $-349$ |
| 生成 | $\text{K(s)} + \frac{1}{2}\text{Cl}_2\text{(g)} \rightarrow \text{KCl(s)}$ | $-437$ |
ボルン・ハーバーサイクルの式を適用します。
$$\Delta H_{\text{lattice}} = \Delta H_f^\circ - \Delta H_{\text{sub}} - \frac{1}{2}D - I_1 - E_{\text{ea}}$$
$$= (-437) - (+89) - (+121) - (+419) - (-349)$$
$$= -437 - 89 - 121 - 419 + 349 = -717 \; \text{kJ/mol}$$
KCl の格子エネルギーは 717 kJ/mol であり、NaCl の 786 kJ/mol より小さい値です。 これは K$^+$(半径 138 pm)が Na$^+$(半径 102 pm)より大きいため、イオン間距離が長くなり、クーロン引力が弱まるためです。 融点も KCl(770${}^\circ\text{C}$)の方が NaCl(801${}^\circ\text{C}$)より低く、格子エネルギーの予測と一致しています。
MgO のボルン・ハーバーサイクルを組み立てます。 Mg は2価の陽イオン、O は2価の陰イオンになるため、イオン化と電子付加のステップが NaCl と異なります。
| ステップ | プロセス | $\Delta H$ (kJ/mol) |
|---|---|---|
| 昇華 | $\text{Mg(s)} \rightarrow \text{Mg(g)}$ | $+148$ |
| 解離 | $\frac{1}{2}\text{O}_2\text{(g)} \rightarrow \text{O(g)}$ | $+249$ |
| 第一イオン化 | $\text{Mg(g)} \rightarrow \text{Mg}^+\text{(g)} + e^-$ | $+738$ |
| 第二イオン化 | $\text{Mg}^+\text{(g)} \rightarrow \text{Mg}^{2+}\text{(g)} + e^-$ | $+1451$ |
| 第一電子付加 | $\text{O(g)} + e^- \rightarrow \text{O}^-\text{(g)}$ | $-141$ |
| 第二電子付加 | $\text{O}^-\text{(g)} + e^- \rightarrow \text{O}^{2-}\text{(g)}$ | $+744$ |
| 生成 | $\text{Mg(s)} + \frac{1}{2}\text{O}_2\text{(g)} \rightarrow \text{MgO(s)}$ | $-602$ |
サイクルの式は次のようになります。
$$\Delta H_{\text{lattice}} = \Delta H_f^\circ - \Delta H_{\text{sub}} - \frac{1}{2}D - I_1 - I_2 - E_{\text{ea1}} - E_{\text{ea2}}$$
$$= (-602) - 148 - 249 - 738 - 1451 - (-141) - (+744)$$
$$= -602 - 148 - 249 - 738 - 1451 + 141 - 744 = -3791 \; \text{kJ/mol}$$
MgO の格子エネルギーは約 3791 kJ/mol であり、NaCl の 786 kJ/mol の約4.8倍です。
この計算で注目すべきは、O の第二電子付加エンタルピーが $+744 \; \text{kJ/mol}$(吸熱)であることです。 O$^-$ にさらに電子を押し込むには、すでに負電荷を帯びたイオンの電子間反発に逆らう必要があるため、大きなエネルギーが必要です。 それでも MgO が安定な結晶として存在するのは、格子形成で放出されるエネルギー(3791 kJ/mol)がこの不利を補って余りあるからです。
誤解:O$^{2-}$ は安定な陰イオンだから、O 原子に電子を2個加える過程は全体として発熱である。
正しい理解:O の第一電子付加は発熱($-141 \; \text{kJ/mol}$)ですが、第二電子付加は吸熱($+744 \; \text{kJ/mol}$)です。 合計すると $-141 + 744 = +603 \; \text{kJ/mol}$ であり、気相ではO$^{2-}$ は O 原子より不安定です。 O$^{2-}$ が安定に存在できるのは、イオン結晶中でのクーロン引力(格子エネルギー)による安定化があるからです。
ボルン・ハーバーサイクルで格子エネルギーの値を求めなくても、クーロンポテンシャルエネルギーの式 $E = kq_+q_-/r$ を使えば、格子エネルギーの大小関係を定性的に予測できます。 以下の3つのイオン結晶を融点の高い順に並べてみます。
LiF、NaCl、CaO
まず電荷で分類します。CaO は $+2, -2$ なので電荷の積は4。LiF と NaCl は $+1, -1$ で電荷の積は1です。 したがって CaO の格子エネルギーが最も大きく、融点が最も高いと予測できます。
次に LiF と NaCl を比較します。電荷は同じなので、イオン半径で判断します。 Li$^+$(76 pm)は Na$^+$(102 pm)より小さく、F$^-$(133 pm)は Cl$^-$(181 pm)より小さいため、LiF のイオン間距離の方が短くなります。 したがって LiF の方が格子エネルギーが大きく、融点も高いと予測できます。
予測:CaO > LiF > NaCl
実測値を確認します。CaO(2614${}^\circ\text{C}$)> LiF(845${}^\circ\text{C}$)> NaCl(801${}^\circ\text{C}$)。予測と一致しています。
実際のイオン結晶では、1つのイオンは最近接のイオンだけでなく、結晶中のすべてのイオンとクーロン相互作用をしています。 最近接イオンとは引力、次に近いイオン(同じ電荷のイオン)とは斥力、さらに遠いイオンとは引力 ── というように、引力と斥力が交互に現れます。
これらの寄与をすべて足し合わせた結果をマーデルング定数 $A$ として表します。 NaCl 型構造では $A = 1.748$、CsCl 型構造では $A = 1.763$ です。 この値は結晶構造だけで決まる定数であり、実験で測定するのではなく数学的に計算される値です。
マーデルング定数を用いると、格子エネルギーをイオンの電荷、イオン間距離、結晶構造から理論的に見積もることもできます(ボルン・ランデの式)。 ボルン・ハーバーサイクルが実測値から格子エネルギーを「導出」するのに対し、ボルン・ランデの式はイオンの性質から格子エネルギーを「予測」します。 両者の値がよく一致することが、イオン結晶のクーロンモデルの妥当性を裏づけています。
Q1. ボルン・ハーバーサイクルの5つのステップを、NaCl を例にして順に挙げてください。
Q2. 格子エネルギーが「導出値」であるのはなぜですか。直接測定できない理由も含めて説明してください。
Q3. NaF と NaI では、どちらの格子エネルギーが大きいですか。理由をイオン半径に基づいて説明してください。
Q4. O の第二電子付加エンタルピーは $+744 \; \text{kJ/mol}$(吸熱)ですが、MgO は安定に存在します。この理由を格子エネルギーの観点から説明してください。
次のイオン結晶を、格子エネルギーが大きい順に並べてください。また、その根拠を電荷とイオン半径に基づいて説明してください。
NaCl、LiF、KBr
LiF > NaCl > KBr
3つとも $+1, -1$ の電荷なので、イオン半径(イオン間距離)で比較します。
LiF:Li$^+$(76 pm)+ F$^-$(133 pm)= イオン間距離が最も短い
NaCl:Na$^+$(102 pm)+ Cl$^-$(181 pm)= 中間
KBr:K$^+$(138 pm)+ Br$^-$(196 pm)= イオン間距離が最も長い
$E = kq_+q_-/r$ より、$r$ が小さいほど格子エネルギーは大きくなるため、LiF > NaCl > KBr の順になります。実測値は LiF: 1037、NaCl: 786、KBr: 682 kJ/mol であり、予測と一致します。
LiCl の格子エネルギーをボルン・ハーバーサイクルを使って求めてください。以下のデータを用いること。
$$\Delta H_{\text{lattice}} = \Delta H_f^\circ - \Delta H_{\text{sub}} - \frac{1}{2}D - I_1 - E_{\text{ea}}$$
$$= (-409) - (+159) - (+121) - (+520) - (-349)$$
$$= -409 - 159 - 121 - 520 + 349 = -860 \; \text{kJ/mol}$$
LiCl の格子エネルギーは 860 kJ/mol です。
$\frac{1}{2}D = \frac{1}{2} \times 242 = 121 \; \text{kJ/mol}$ として代入しています。NaCl(786 kJ/mol)より LiCl(860 kJ/mol)の方が格子エネルギーが大きいのは、Li$^+$(76 pm)が Na$^+$(102 pm)より小さく、イオン間距離が短いためです。
CaF$_2$ のボルン・ハーバーサイクルを組み立て、格子エネルギーを求めてください。CaF$_2$ は Ca$^{2+}$ と 2 個の F$^-$ からなります。以下のデータを用いること。
CaF$_2$ は Ca$^{2+}$ 1個と F$^-$ 2個からなるため、F$_2$ の解離は 1 mol(F 原子 2 mol を生成)、電子付加は F 原子 2 mol 分です。
$$\Delta H_{\text{lattice}} = \Delta H_f^\circ - \Delta H_{\text{sub}} - D - I_1 - I_2 - 2E_{\text{ea}}$$
$$= (-1228) - (+178) - (+158) - (+590) - (+1145) - 2 \times (-328)$$
$$= -1228 - 178 - 158 - 590 - 1145 + 656 = -2643 \; \text{kJ/mol}$$
CaF$_2$ の格子エネルギーは 2643 kJ/mol です。
CaF$_2$ では F 原子が 2 mol 必要なので、F$_2$ を $\frac{1}{2} \times 2 = 1 \; \text{mol}$ 解離させます(解離エンタルピーは $D = 158 \; \text{kJ/mol}$、$\frac{1}{2}D$ ではありません)。電子付加エンタルピーも 2 mol 分です。また、Ca は 2価の陽イオンになるので、第一・第二イオン化エネルギーの両方が必要です。NaCl(786 kJ/mol)と比較して格子エネルギーが大幅に大きいのは、Ca$^{2+}$ の電荷が $+2$ であることと、F$^-$ の半径が小さいことによります。
Na$_2$O のボルン・ハーバーサイクルにおいて、O の第二電子付加エンタルピーは $+744 \; \text{kJ/mol}$(吸熱)です。 それにもかかわらず Na$_2$O が安定に存在する理由を、ボルン・ハーバーサイクルの各ステップのエネルギー収支を踏まえて論じてください。 以下のデータを用いること。
Na$_2$O は Na$^+$ 2個と O$^{2-}$ 1個からなるので、サイクルは以下のようになります。
$$\Delta H_{\text{lattice}} = \Delta H_f^\circ - 2\Delta H_{\text{sub}} - \frac{1}{2}D - 2I_1 - E_{\text{ea1}} - E_{\text{ea2}}$$
$$= (-416) - 2(+107) - (+249) - 2(+496) - (-141) - (+744)$$
$$= -416 - 214 - 249 - 992 + 141 - 744 = -2474 \; \text{kJ/mol}$$
格子形成のステップ以外のエンタルピー変化の合計は次の通りです。
$$2(+107) + 249 + 2(+496) + (-141) + (+744) = +2058 \; \text{kJ/mol}$$
気体イオンを作るまでに 2058 kJ/mol ものエネルギーが必要です。しかし格子形成で 2474 kJ/mol が放出されるため、差し引き $-416 \; \text{kJ/mol}$ の安定化があります。これが Na$_2$O の生成エンタルピーに対応します。
O の第二電子付加が吸熱であるにもかかわらず Na$_2$O が安定に存在するのは、格子エネルギーによる安定化(2474 kJ/mol)が、イオン生成に要するエネルギー全体(2058 kJ/mol)を上回るためです。