高校化学では、平衡定数 $K$ を「平衡状態における各成分の濃度の比」として定義し、その値が大きければ生成物側に偏る、小さければ原系側に偏ると学びます。
また、温度変化による平衡移動はルシャトリエの原理で定性的に判断します。
しかし、「なぜある反応の $K$ は $10^{5}$ で、別の反応の $K$ は $10^{-3}$ なのか」「温度を上げると $K$ がどれだけ変化するのか」には、高校の枠組みでは答えられません。
大学化学では、$\Delta G^\circ = -RT \ln K$ という一つの式が、これらすべての問いに答えます。
この式は、📖 C-8-2 で導入したギブズエネルギーと平衡定数を直接結びつけるものです。
ここから平衡定数の大きさの熱力学的な意味が明らかになり、さらに温度依存性(ファントホッフの式)を導くことで、ルシャトリエの原理(温度変化の効果)が定量的に再現されます。
高校化学では、可逆反応が平衡状態に達したとき、各成分の濃度の間に一定の関係が成り立つことを学びます。 たとえば、次の反応を考えます。
$$\text{N}_2(\text{g}) + 3\text{H}_2(\text{g}) \rightleftharpoons 2\text{NH}_3(\text{g})$$
平衡状態における各成分の濃度を $[\text{N}_2]$、$[\text{H}_2]$、$[\text{NH}_3]$ とすると、濃度平衡定数 $K_c$ は次のように定義されます。
$$K_c = \frac{[\text{NH}_3]^2}{[\text{N}_2][\text{H}_2]^3}$$
高校では、$K$ の値が大きいほど平衡が生成物側に偏ること、$K$ は温度のみに依存し濃度や圧力では変わらないことを学びます。 また、温度・圧力・濃度の変化に対する平衡移動は、ルシャトリエの原理で定性的に予測します。 たとえば「発熱反応では温度を上げると平衡は原系側に移動する」「気体分子数が減る方向の反応では圧力を上げると生成物側に移動する」といった判断です。
しかし、高校の枠組みでは次の問いに答えることができません。
次のセクションでは、これらの問いに答えるための大学の視点を導入します。
大学化学では、平衡定数 $K$ の大きさを標準ギブズエネルギー変化 $\Delta G^\circ$ から定量的に理解します。 両者を結ぶのが $\Delta G^\circ = -RT \ln K$ という式です。 この式一つから、平衡定数の大きさの意味、温度依存性、そしてルシャトリエの原理(温度変化の効果)がすべて導かれます。
この記事を読み終えると、以下のことができるようになります。
1. 反応商 $Q$ とギブズエネルギーの関係 $\Delta G = \Delta G^\circ + RT \ln Q$ を理解し、平衡条件 $\Delta G = 0$ から $\Delta G^\circ = -RT \ln K$ を導ける
2. $\Delta G^\circ$ の値から $K$ の大きさを計算し、反応がどちら側に偏るかを定量的に判断できる
3. ファントホッフの式を導出し、$K$ の温度依存性を計算できる
4. ファントホッフの式から、ルシャトリエの原理(温度変化の効果)が自動的に得られることを説明できる
5. 具体的な反応について $\Delta G^\circ$ から $K$ を数値計算できる
この記事では、📖 C-8-2 で導入したギブズエネルギーを出発点にします。 次のセクションで必要な知識を確認した上で、本題に入ります。
ここで用いるギブズエネルギーの概念は 📖 C-8-2 で詳しく解説しています。以下では要点のみ確認します。
ギブズエネルギー $G$ は、エンタルピー $H$ とエントロピー $S$ を組み合わせた状態量で、次の式で定義されます。
$$G = H - TS$$
一定温度・一定圧力のもとで、反応に伴うギブズエネルギー変化 $\Delta G = \Delta H - T\Delta S$ が反応の自発性を決めます。
ここで重要な区別があります。$\Delta G^\circ$(標準ギブズエネルギー変化)と $\Delta G$(任意の条件でのギブズエネルギー変化)は異なるものです。 $\Delta G^\circ$ はすべての成分が標準状態(気体なら 1 bar、溶液なら 1 mol/L)にあるときの値で、温度のみに依存する定数です。 一方、$\Delta G$ は実際の反応条件(各成分の濃度や分圧)に依存して変化します。
では、$\Delta G$ と $\Delta G^\circ$ の間にはどのような関係があるのでしょうか。 次のセクションで、この関係を定式化し、そこから $\Delta G^\circ = -RT \ln K$ を導きます。
一般的な反応 $a\text{A} + b\text{B} \rightleftharpoons c\text{C} + d\text{D}$ を考えます。 反応商 $Q$ は、平衡定数 $K$ と同じ形式の式ですが、任意の時点での濃度(または分圧)を代入したものです。
$$Q = \frac{[\text{C}]^c[\text{D}]^d}{[\text{A}]^a[\text{B}]^b}$$
$Q$ と $K$ の違いは、$K$ が平衡状態での値に限定されるのに対し、$Q$ は反応が平衡に達していない任意の状態で計算できる点です。 $Q < K$ であれば正方向に反応が進み、$Q > K$ であれば逆方向に反応が進み、$Q = K$ のとき平衡に達しています。 この判断基準は高校でも学びますが、大学ではこれをギブズエネルギーの言葉で定量化します。
熱力学から、任意の条件でのギブズエネルギー変化 $\Delta G$ は、標準ギブズエネルギー変化 $\Delta G^\circ$ と反応商 $Q$ を使って次のように表されます。
$$\Delta G = \Delta G^\circ + RT \ln Q$$
$\Delta G$:任意の条件でのギブズエネルギー変化(J/mol)、$\Delta G^\circ$:標準ギブズエネルギー変化(J/mol)、$R = 8.314 \; \text{J/(mol} \cdot \text{K)}$:気体定数、$T$:絶対温度(K)、$Q$:反応商(無次元)
この式は、各成分の化学ポテンシャルが濃度(活量)の対数に比例するという熱力学の結果から導かれます。 $Q = 1$(すべての成分が標準状態)のとき $\ln Q = 0$ となり、$\Delta G = \Delta G^\circ$ に戻ります。 $Q$ が大きくなる(生成物が多くなる)ほど $RT \ln Q$ が正の寄与を加え、$\Delta G$ は増加します。 つまり、生成物が蓄積するにつれて正方向への駆動力が弱まっていく、ということをこの式は表しています。
この式の意味を具体的に考えてみます。いま $\Delta G^\circ < 0$(標準状態で正方向が自発的)だとします。 反応が始まった直後は生成物がほとんどないので $Q \approx 0$、$\ln Q$ は大きな負の値をとり、$\Delta G$ は強く負になります。 反応が進むにつれて生成物が増え、$Q$ が大きくなり、$RT \ln Q$ が増加していきます。 やがて $\Delta G = 0$ になる点に達します。これが平衡状態です。
平衡状態では $\Delta G = 0$ であり、このとき $Q = K$(反応商が平衡定数に等しい)です。 これを $\Delta G = \Delta G^\circ + RT \ln Q$ に代入します。
$$0 = \Delta G^\circ + RT \ln K$$
したがって、次の関係が得られます。
$$\Delta G^\circ = -RT \ln K$$
$\Delta G^\circ$:標準ギブズエネルギー変化(J/mol)、$R = 8.314 \; \text{J/(mol} \cdot \text{K)}$、$T$:絶対温度(K)、$K$:平衡定数(無次元)
この式は $\Delta G = \Delta G^\circ + RT \ln Q$ に平衡条件 $\Delta G = 0$、$Q = K$ を代入することで得られます。 実験法則ではなく、熱力学の原理からの論理的な帰結です。
出発点:$\Delta G = \Delta G^\circ + RT \ln Q$(ギブズエネルギーと反応商の関係)
平衡条件:$\Delta G = 0$ かつ $Q = K$
代入:$0 = \Delta G^\circ + RT \ln K$
結果:$\Delta G^\circ = -RT \ln K$、すなわち $K = e^{-\Delta G^\circ / RT}$
$K = e^{-\Delta G^\circ / RT}$ を変形した形で見ると、$\Delta G^\circ$ と $K$ の関係がはっきりします。
| $\Delta G^\circ$ の符号 | $-\Delta G^\circ / RT$ の符号 | $K = e^{-\Delta G^\circ / RT}$ | 平衡の偏り |
|---|---|---|---|
| $\Delta G^\circ < 0$(大きく負) | 正(大) | $K \gg 1$ | 生成物側に大きく偏る |
| $\Delta G^\circ = 0$ | $0$ | $K = 1$ | 原系と生成物がほぼ同量 |
| $\Delta G^\circ > 0$(大きく正) | 負(大) | $K \ll 1$ | 原系側に大きく偏る |
298 K では $RT = 8.314 \times 298 = 2479 \; \text{J/mol} \approx 2.48 \; \text{kJ/mol}$ です。 したがって、$\Delta G^\circ$ が $-2.48 \; \text{kJ/mol}$ 変化するごとに $K$ は $e \approx 2.72$ 倍変わります。 $\Delta G^\circ = -10 \; \text{kJ/mol}$ であれば $K = e^{10000/2479} = e^{4.03} \approx 56$、 $\Delta G^\circ = -50 \; \text{kJ/mol}$ であれば $K = e^{50000/2479} = e^{20.2} \approx 5.9 \times 10^{8}$ と、$\Delta G^\circ$ がわずかに変わるだけで $K$ は桁違いに変化します。
指数関数 $K = e^{-\Delta G^\circ / RT}$ は、$\Delta G^\circ$ の小さな差を $K$ の桁違いの差に変換します。
298 K では、$\Delta G^\circ$ が約 $5.7 \; \text{kJ/mol}$($= RT \ln 10$)だけ負に変わると、$K$ は 10 倍になります。 $\Delta G^\circ$ が $-57 \; \text{kJ/mol}$ であれば $K \approx 10^{10}$ であり、反応はほぼ完全に生成物側に進みます。
高校で「$K$ が大きい反応」「$K$ が小さい反応」と定性的に分類していたものが、$\Delta G^\circ$ という一つの数値で統一的に理解できます。
誤解:$\Delta G^\circ < 0$ なら反応は右に完全に進み、原系は残らない。
正しい理解:$\Delta G^\circ < 0$ は「標準状態(すべて 1 mol/L または 1 bar)からスタートしたとき、正方向に自発的に進む」という意味です。 反応が進むにつれて $Q$ が増加し、$\Delta G = \Delta G^\circ + RT \ln Q$ がゼロに近づきます。 $\Delta G = 0$ に達した点で反応は止まり、そこが平衡です。 $\Delta G^\circ$ が大きく負であれば $K$ が大きく、平衡が生成物側に大きく偏りますが、原系がゼロになることはありません($\ln Q \to \infty$ のとき $\Delta G \to +\infty$ となるため)。
ここまでで、$\Delta G^\circ = -RT \ln K$ という関係を導き、$\Delta G^\circ$ の値から $K$ の大きさを定量的に理解できるようになりました。 次のセクションでは、この式をさらに発展させ、温度が変わったとき $K$ がどう変化するかを求めます。
セクション4で得た $\Delta G^\circ = -RT \ln K$ を出発点にします。 $\Delta G^\circ = \Delta H^\circ - T\Delta S^\circ$ を代入すると、
$$-RT \ln K = \Delta H^\circ - T\Delta S^\circ$$
両辺を $-RT$ で割ると、
$$\ln K = -\frac{\Delta H^\circ}{RT} + \frac{\Delta S^\circ}{R}$$
この式は、$\ln K$ が $1/T$ の一次関数になることを示しています。 傾きは $-\Delta H^\circ / R$ です。 ここで $\Delta H^\circ$ と $\Delta S^\circ$ は温度に対してあまり変化しないと仮定しています(狭い温度範囲ではよい近似です)。
2つの異なる温度 $T_1$ と $T_2$ での平衡定数 $K_1$ と $K_2$ の関係を求めるため、それぞれについてこの式を書き、差をとります。
$$\ln K_2 - \ln K_1 = -\frac{\Delta H^\circ}{R}\left(\frac{1}{T_2} - \frac{1}{T_1}\right)$$
$$\ln \frac{K_2}{K_1} = -\frac{\Delta H^\circ}{R}\left(\frac{1}{T_2} - \frac{1}{T_1}\right)$$
$K_1$, $K_2$:温度 $T_1$, $T_2$ での平衡定数、$\Delta H^\circ$:標準反応エンタルピー(J/mol)、$R = 8.314 \; \text{J/(mol} \cdot \text{K)}$
この式は $\Delta G^\circ = -RT \ln K$ と $\Delta G^\circ = \Delta H^\circ - T\Delta S^\circ$ を組み合わせることで導かれます。 $\Delta H^\circ$ が温度によらず一定であるという近似のもとで成り立ちます。 $\ln K$ を $1/T$ に対してプロットすると直線になり、その傾きから $\Delta H^\circ$ を実験的に決定できます。
ステップ1:$\Delta G^\circ = -RT \ln K$ に $\Delta G^\circ = \Delta H^\circ - T\Delta S^\circ$ を代入する。
ステップ2:$\ln K = -\Delta H^\circ/(RT) + \Delta S^\circ/R$ を得る。
ステップ3:温度 $T_1$ のとき $\ln K_1 = -\Delta H^\circ/(RT_1) + \Delta S^\circ/R$
ステップ4:温度 $T_2$ のとき $\ln K_2 = -\Delta H^\circ/(RT_2) + \Delta S^\circ/R$
ステップ5:ステップ4からステップ3を引くと、$\Delta S^\circ/R$ の項が消えて $\ln(K_2/K_1) = -(\Delta H^\circ/R)(1/T_2 - 1/T_1)$ を得る。
ファントホッフの式を使って、温度変化が $K$ に与える影響を調べます。 温度を $T_1$ から $T_2 > T_1$ に上げた場合を考えます。 このとき $1/T_2 < 1/T_1$ なので、$1/T_2 - 1/T_1 < 0$ です。
発熱反応($\Delta H^\circ < 0$)の場合:
$$\ln \frac{K_2}{K_1} = \underbrace{-\frac{\Delta H^\circ}{R}}_{> 0} \times \underbrace{\left(\frac{1}{T_2} - \frac{1}{T_1}\right)}_{< 0} < 0$$
$\ln(K_2/K_1) < 0$ なので $K_2 < K_1$ です。つまり、発熱反応では温度を上げると $K$ が小さくなる(平衡が原系側に移動する)。
吸熱反応($\Delta H^\circ > 0$)の場合:
$$\ln \frac{K_2}{K_1} = \underbrace{-\frac{\Delta H^\circ}{R}}_{< 0} \times \underbrace{\left(\frac{1}{T_2} - \frac{1}{T_1}\right)}_{< 0} > 0$$
$\ln(K_2/K_1) > 0$ なので $K_2 > K_1$ です。つまり、吸熱反応では温度を上げると $K$ が大きくなる(平衡が生成物側に移動する)。
高校で暗記した「発熱反応では温度を上げると平衡が左に移動する」「吸熱反応では温度を上げると平衡が右に移動する」という法則は、ファントホッフの式から自動的に導かれます。
暗記すべき独立した法則ではなく、$\Delta G^\circ = -RT \ln K$ と $\Delta G^\circ = \Delta H^\circ - T\Delta S^\circ$ という2つの式の論理的な帰結です。
さらに、ファントホッフの式は定性的な方向だけでなく、$K$ がどれだけ変化するかを定量的に計算できる点で、ルシャトリエの原理より強力です。
$\ln K = -\Delta H^\circ/(RT) + \Delta S^\circ/R$ は $y = ax + b$ の形をしています。 $y = \ln K$、$x = 1/T$ とすると、傾き $a = -\Delta H^\circ/R$、切片 $b = \Delta S^\circ/R$ です。
異なる温度で $K$ を実験的に測定し、$\ln K$ を $1/T$ に対してプロットすると直線が得られます。 この直線の傾きから $\Delta H^\circ$ を、切片から $\Delta S^\circ$ を実験的に決定できます。 これは反応の熱力学的パラメータを実験的に求める重要な手法です。
ここまでで、$\Delta G^\circ = -RT \ln K$ という一つの式から、$K$ の大きさの意味(セクション4)と温度依存性(本セクション)の両方を導くことができました。 次のセクションでは、具体的な反応について数値計算を行い、これらの結果を実際に使ってみます。
アンモニア合成反応を考えます。
$$\text{N}_2(\text{g}) + 3\text{H}_2(\text{g}) \rightleftharpoons 2\text{NH}_3(\text{g})$$
298 K での熱力学データ(実測値)は次の通りです。
まず $\Delta G^\circ$ を計算します。
$$\Delta G^\circ = \Delta H^\circ - T\Delta S^\circ = -92200 - 298 \times (-198.7) = -92200 + 59213 = -32987 \; \text{J/mol}$$
すなわち $\Delta G^\circ = -33.0 \; \text{kJ/mol}$ です。$\Delta G^\circ < 0$ なので、標準状態では正方向(アンモニア生成方向)が自発的です。
次に、$\Delta G^\circ = -RT \ln K$ から $K$ を求めます。
$$\ln K = -\frac{\Delta G^\circ}{RT} = -\frac{-32987}{8.314 \times 298} = \frac{32987}{2478} = 13.31$$
$$K = e^{13.31} = 6.0 \times 10^5$$
$K = 6.0 \times 10^5$ は非常に大きな値であり、298 K では平衡が強くアンモニア側に偏ることを意味します。 $\Delta G^\circ$ が約 $-33 \; \text{kJ/mol}$ という「それほど大きくない」値に見えるかもしれませんが、 指数関数の効果により $K$ は $10^5$ のオーダーに達します。
アンモニア合成の $K$ が 298 K から 500 K に温度を上げたときにどう変化するかを計算します。 $\Delta H^\circ = -92.2 \; \text{kJ/mol} = -92200 \; \text{J/mol}$ を用います。
$$\ln \frac{K_{500}}{K_{298}} = -\frac{\Delta H^\circ}{R}\left(\frac{1}{T_2} - \frac{1}{T_1}\right) = -\frac{-92200}{8.314}\left(\frac{1}{500} - \frac{1}{298}\right)$$
$$= 11090 \times (0.00200 - 0.00336) = 11090 \times (-0.00136) = -15.1$$
$$\frac{K_{500}}{K_{298}} = e^{-15.1} = 2.7 \times 10^{-7}$$
$$K_{500} = 6.0 \times 10^5 \times 2.7 \times 10^{-7} = 0.16$$
298 K では $K = 6.0 \times 10^5$ だった平衡定数が、500 K では $K = 0.16$ にまで激減しています。 これは発熱反応($\Delta H^\circ < 0$)では温度上昇が $K$ を小さくするというファントホッフの式の予測と一致します。 ルシャトリエの原理が「発熱反応では温度を上げると平衡が左に移動する」と述べる定性的な内容が、ここでは定量的に確認できます。
誤解:$K = 6.0 \times 10^5$ なのだから、室温で窒素と水素を混ぜればアンモニアがすぐに大量にできる。
正しい理解:$K$ は「平衡に達したときにどちら側に偏るか」を示す熱力学的な量であり、「どれだけ速く平衡に達するか」は示しません。 アンモニア合成は 298 K では極端に反応速度が遅く、事実上反応は進みません。 工業的にはハーバー・ボッシュ法で高温(約 700 K)・高圧・触媒(鉄系触媒)を使います。 高温にすると $K$ は小さくなりますが、反応速度が十分に速くなるため、高圧と組み合わせて収率を確保しています。 これは熱力学($K$)と反応速度論(📖 C-9-1)の両方を考慮した結果です。
$\Delta G^\circ$ と $K$ の対応を 298 K で具体的に比較してみます。
| $\Delta G^\circ$ (kJ/mol) | $K$ | 平衡の偏り |
|---|---|---|
| $-100$ | $3.0 \times 10^{17}$ | ほぼ完全に生成物側 |
| $-50$ | $5.9 \times 10^{8}$ | 生成物側に大きく偏る |
| $-10$ | $56$ | 生成物がやや優勢 |
| $0$ | $1$ | 同程度 |
| $+10$ | $0.018$ | 原系がやや優勢 |
| $+50$ | $1.7 \times 10^{-9}$ | 原系側に大きく偏る |
$\Delta G^\circ$ が 10 kJ/mol 変わるごとに $K$ が約 56 倍($= e^{10000/2478}$)変化することが読み取れます。 $\Delta G^\circ$ が $\pm 50 \; \text{kJ/mol}$ を超えると、$K$ は $10^8$ 以上または $10^{-9}$ 以下となり、反応はほぼ一方的に進みます。
Q1. $\Delta G^\circ = -RT \ln K$ はどのような条件から導かれますか。$\Delta G = \Delta G^\circ + RT \ln Q$ を出発点にして、2つの条件を述べてください。
Q2. 298 K で $\Delta G^\circ = -17.1 \; \text{kJ/mol}$ の反応の平衡定数 $K$ はおよそいくらですか。$\ln 10 \approx 2.30$ として概算してください。
Q3. ファントホッフの式を使って、発熱反応で温度を上げると $K$ が小さくなることを導いてください。符号に注目して説明してください。
Q4. $\Delta G^\circ < 0$ であっても、反応が平衡状態では原系が完全に消費されない理由を、$\Delta G = \Delta G^\circ + RT \ln Q$ を使って説明してください。
次の各場合について、$K$ が 1 より大きいか小さいかを答えてください。
(a) $\Delta G^\circ = -20 \; \text{kJ/mol}$
(b) $\Delta G^\circ = +15 \; \text{kJ/mol}$
(c) $\Delta G^\circ = 0$
(a) $\Delta G^\circ < 0$ なので $-\Delta G^\circ/RT > 0$、$K = e^{-\Delta G^\circ/RT} > 1$ です。$K > 1$。
(b) $\Delta G^\circ > 0$ なので $-\Delta G^\circ/RT < 0$、$K = e^{-\Delta G^\circ/RT} < 1$ です。$K < 1$。
(c) $\Delta G^\circ = 0$ なので $K = e^0 = 1$ です。$K = 1$。
次の反応の 298 K における平衡定数 $K$ を求めてください。
$$2\text{SO}_2(\text{g}) + \text{O}_2(\text{g}) \rightleftharpoons 2\text{SO}_3(\text{g})$$
与えられたデータ:$\Delta H^\circ = -198 \; \text{kJ/mol}$、$\Delta S^\circ = -187 \; \text{J/(mol} \cdot \text{K)}$
$\Delta G^\circ = \Delta H^\circ - T\Delta S^\circ = -198000 - 298 \times (-187) = -198000 + 55726 = -142274 \; \text{J/mol}$
$\ln K = -\Delta G^\circ/(RT) = 142274/(8.314 \times 298) = 142274/2478 = 57.4$
$K = e^{57.4} = 8.7 \times 10^{24}$
$\Delta G^\circ$ が $-142 \; \text{kJ/mol}$ と大きく負であるため、$K$ は $10^{24}$ という途方もなく大きな値になります。298 K では平衡はほぼ完全に $\text{SO}_3$ 側に偏ります。ただし、実際には反応速度が遅いため、触媒($\text{V}_2\text{O}_5$)を使って反応を進行させます(接触法)。
ある反応の平衡定数が 300 K で $K_1 = 1.0 \times 10^4$、400 K で $K_2 = 5.0 \times 10^2$ であることが実験的にわかっています。 ファントホッフの式を使って、この反応の $\Delta H^\circ$ を求めてください。 また、この反応は発熱反応か吸熱反応かを判定してください。
$$\ln \frac{K_2}{K_1} = \ln \frac{5.0 \times 10^2}{1.0 \times 10^4} = \ln(0.050) = -3.00$$
$$-3.00 = -\frac{\Delta H^\circ}{8.314}\left(\frac{1}{400} - \frac{1}{300}\right) = -\frac{\Delta H^\circ}{8.314} \times (-8.33 \times 10^{-4})$$
$$-3.00 = \frac{\Delta H^\circ \times 8.33 \times 10^{-4}}{8.314}$$
$$\Delta H^\circ = \frac{-3.00 \times 8.314}{8.33 \times 10^{-4}} = -29900 \; \text{J/mol} = -29.9 \; \text{kJ/mol}$$
$\Delta H^\circ < 0$ なので発熱反応です。温度を上げると $K$ が小さくなっている($K_1 > K_2$)ことと一致します。
アンモニア合成反応 $\text{N}_2(\text{g}) + 3\text{H}_2(\text{g}) \rightleftharpoons 2\text{NH}_3(\text{g})$ について、 $\Delta H^\circ = -92.2 \; \text{kJ/mol}$、$\Delta S^\circ = -198.7 \; \text{J/(mol} \cdot \text{K)}$ とします。
(a) $\Delta G^\circ = 0$ となる温度 $T$ を求めてください。この温度の物理的な意味を述べてください。
(b) ハーバー・ボッシュ法では約 700 K で反応を行います。この温度での $K$ を計算してください。
(c) (b)の結果から、工業プロセスで高圧(約 200 atm)を用いる理由を、平衡の観点から説明してください。
(a) $\Delta G^\circ = \Delta H^\circ - T\Delta S^\circ = 0$ とおくと、
$$T = \frac{\Delta H^\circ}{\Delta S^\circ} = \frac{-92200}{-198.7} = 464 \; \text{K} \quad (191 \; {}^\circ\text{C})$$
この温度で $\Delta G^\circ = 0$ すなわち $K = 1$ です。これより低温では $\Delta G^\circ < 0$ で $K > 1$(生成物有利)、高温では $\Delta G^\circ > 0$ で $K < 1$(原系有利)となります。464 K は、アンモニア合成が熱力学的に有利から不利に切り替わる境界温度です。
(b) ファントホッフの式で 298 K の $K = 6.0 \times 10^5$ から 700 K の $K$ を求めます。
$$\ln \frac{K_{700}}{K_{298}} = -\frac{-92200}{8.314}\left(\frac{1}{700} - \frac{1}{298}\right) = 11090 \times (0.001429 - 0.003356)$$
$$= 11090 \times (-0.001927) = -21.4$$
$$K_{700} = 6.0 \times 10^5 \times e^{-21.4} = 6.0 \times 10^5 \times 5.0 \times 10^{-10} = 3.0 \times 10^{-4}$$
(c) 700 K では $K = 3.0 \times 10^{-4}$ と非常に小さいため、常圧では平衡がほとんど原系側に偏り、アンモニアの生成量はごくわずかです。 $\text{N}_2 + 3\text{H}_2 \rightleftharpoons 2\text{NH}_3$ では左辺の気体分子数(4 mol)が右辺(2 mol)より多いため、ルシャトリエの原理により高圧にすると平衡が右(アンモニア生成側)に移動します。 圧平衡定数 $K_p$ は圧力によらず一定ですが、$K_p = K_c(RT)^{\Delta n}$($\Delta n = -2$)の関係から、全圧を上げると濃度平衡定数に基づくアンモニアの生成割合が増加します。 約 200 atm の高圧を用いることで、$K$ が小さい不利を部分的に補い、実用的なアンモニア収率を確保しています。