高校化学では、電子配置を K殻(2), L殻(8), M殻(18)... という「殻」の最大収容数に従って学びます。
周期表の周期は殻の番号に対応し、族は最外殻電子の数に対応する、という整理です。
この枠組みは第3周期(Na〜Ar)までは問題なく機能しますが、第4周期に入ると K(2) L(8) M(8) N(2) という配置のカリウムが現れ、「M殻は最大18個入るはずなのに、なぜ8個で止まるのか」という疑問が生じます。
大学化学では、📖 C-1-1で導入した4つの量子数と軌道のエネルギー順序を用いて、構成原理(Aufbau原理)に従い電子を配置します。
この方法に従うだけで、周期表のブロック構造(s, p, d, fブロック)が自然に現れ、
カリウムの配置も、遷移金属の存在も、すべて一つの原理から説明できるようになります。
高校化学では、原子の電子配置を電子殻(K殻, L殻, M殻, ...)を使って表します。 各殻に入れる電子の最大数は、内側から順に 2, 8, 18, 32, ... すなわち $2n^2$($n$ は殻の番号)個です。
| 殻 | $n$ | 最大電子数 $2n^2$ |
|---|---|---|
| K殻 | 1 | 2 |
| L殻 | 2 | 8 |
| M殻 | 3 | 18 |
| N殻 | 4 | 32 |
この規則に従って、原子番号の小さい元素から順に電子を配置していきます。 たとえば、ナトリウム(Na, 原子番号11)は K(2) L(8) M(1) であり、最外殻のM殻に1個の電子を持ちます。 アルゴン(Ar, 原子番号18)は K(2) L(8) M(8) で、M殻に8個の電子が入った安定な配置です。
しかし、ここで問題が生じます。M殻の最大収容数は $2 \times 3^2 = 18$ 個のはずです。 アルゴンではM殻に8個しか入っていないのに、次のカリウム(K, 原子番号19)では19個目の電子がM殻ではなくN殻に入ります。 つまり K(2) L(8) M(8) N(1) という配置になります。 高校では「最外殻電子は8個で安定する(オクテット則)」という説明がなされますが、 「なぜ8個で安定なのか」「なぜM殻を満たしてからN殻に行かないのか」という問いには答えられません。
この問いに答えるには、殻の中をさらに細かく見る必要があります。 次のセクションでは、大学の視点を導入することで、この問いにすっきりと答えられるようになることを確認します。
大学化学では、電子殻をさらに副殻(subshell)に分けます。 📖 C-1-1で学んだように、 副殻は方位量子数 $l$ によって分類され、$l = 0, 1, 2, 3$ がそれぞれ s, p, d, f 軌道に対応します。 電子は「殻の番号順」ではなく、軌道のエネルギーが低い順に詰められていきます。 これが構成原理(Aufbau原理)です。
この記事を読み終えると、以下のことができるようになります。
1. 構成原理(Aufbau原理)・パウリの排他原理・フントの規則の3つのルールを説明し、任意の原子の電子配置を書ける
2. 3p の次に 3d ではなく 4s が埋まる理由を、軌道エネルギーの観点から説明できる
3. 周期表の s/p/d/f ブロック構造が電子配置から自然に現れることを示せる
4. Cr と Cu の例外的な電子配置を、d 軌道の安定性の観点から説明できる
5. 電子配置に基づいて、遷移金属イオンの安定な価数を予測できる
構成原理を理解するためには、3つのルールを知る必要があります。 次のセクションで、これらを一つずつ導入します。
多電子原子の電子配置を決めるには、以下の3つのルールに従います。 これらのルールは、原子が最もエネルギーの低い(最も安定な)状態をとろうとする、という自然法則から導かれます。
電子は、エネルギーの低い軌道から順に詰められていきます。 "Aufbau" はドイツ語で「積み上げ」を意味し、エネルギーの階段を下から順に埋めていくイメージです。
軌道のエネルギー順序は、多電子原子では次のようになります。
1s < 2s < 2p < 3s < 3p < 4s < 3d < 4p < 5s < 4d < 5p < 6s < 4f < 5d < 6p < 7s < 5f < 6d < 7p
この順序は分光学的な実測データに基づくものです。注目すべきは、3d よりも 4s の方がエネルギーが低い(先に埋まる)という点です。 同様に、4d より 5s が、5d より 6s が先に埋まります。 この順序を覚えるための経験則として、$(n + l)$ の値が小さい軌道ほどエネルギーが低く、$(n + l)$ が同じ場合は $n$ が小さい方が低い、という$(n + l)$ 則(マーデルングの規則)があります。
なぜ 4s が 3d よりもエネルギーが低いのでしょうか。 📖 C-1-1で学んだように、s 軌道は原子核の近くに存在確率の高い領域を持ちます(これを貫入効果と呼びます)。 多電子原子では、内殻の電子が核の正電荷を遮蔽するため、外側の電子が感じる有効核電荷が小さくなります。 しかし、4s 電子は貫入効果により内殻電子の遮蔽を「すり抜けて」核に近づくことができるため、3d 電子よりも強く核に引きつけられ、エネルギーが低くなるのです。
誤解:4s 軌道は常に 3d 軌道よりエネルギーが低い。
正しい理解:中性原子で電子を詰めていくとき、3p まで埋まった段階では 4s の方が 3d よりエネルギーが低くなります。 しかし、3d 電子が入り始めると遮蔽の状況が変わり、実際には 3d が埋まった後のイオン(たとえば $\text{Fe}^{2+}$)では 3d の方が 4s よりエネルギーが低くなります。 そのため、遷移金属がイオンになるときは 4s 電子から先に失われます。 この点は本記事のセクション7で詳しく扱います。
📖 C-1-1で導入した4つの量子数 $(n, l, m_l, m_s)$ を用いると、 このルールは次のように述べられます。
一つの原子内で、4つの量子数 $(n, l, m_l, m_s)$ がすべて同じ電子は2個以上存在できない。
これは量子力学の基本原理であり、「なぜそうなるのか」をより深く理解するには、電子がフェルミ粒子であるという性質に遡る必要があります。 ここでは自然法則として受け入れます。 実用的には、1つの軌道($n, l, m_l$ が同じ状態)には最大2個の電子しか入れないということを意味します。 2個入る場合、スピン量子数 $m_s$ が $+\frac{1}{2}$ と $-\frac{1}{2}$ で異なります。
パウリの排他原理から、各副殻に入る最大電子数が決まります。 副殻 $l$ には $m_l = -l, -l+1, \ldots, l-1, l$ の $(2l+1)$ 個の軌道があり、 各軌道に2個ずつ入るので、最大 $2(2l+1)$ 個です。
| 副殻 | $l$ | 軌道の数 $(2l+1)$ | 最大電子数 $2(2l+1)$ |
|---|---|---|---|
| s | 0 | 1 | 2 |
| p | 1 | 3 | 6 |
| d | 2 | 5 | 10 |
| f | 3 | 7 | 14 |
ここで、セクション1の疑問に答えることができます。 M殻($n = 3$)には $l = 0, 1, 2$、すなわち 3s, 3p, 3d の3つの副殻があり、最大 $2 + 6 + 10 = 18$ 個の電子が入れます。 高校で「M殻は最大18個」と学んだのは正しいのです。 しかし、3p まで埋まった段階(8個)で、次に埋まるのは 3d ではなく 4s です。 これが「M殻は8個で止まっているように見える」理由であり、構成原理で自然に説明できます。
同じ副殻の中で複数の軌道に電子を配置するとき、できるだけ多くの軌道に1個ずつ、スピンを揃えて(同じ向きに)入れる。
たとえば、2p 副殻に3個の電子を入れる場合、3つの 2p 軌道にそれぞれ1個ずつ、すべて同じスピン(たとえば $m_s = +\frac{1}{2}$)で入ります。 1つの軌道に2個入れて残りの軌道を空にする配置は、エネルギーが高くなるため実現しません。 これは、同じスピンの電子どうしは互いに避け合う傾向があり(交換相互作用)、これによってエネルギーが下がるためです。
以上の3つのルール ── 構成原理(エネルギーの低い軌道から順に埋める)、パウリの排他原理(1軌道に最大2個)、フントの規則(同一副殻内ではスピンを揃えて1個ずつ) ── を組み合わせると、 任意の原子の基底状態の電子配置を決定できます。 次のセクションで、具体的に第1周期から第4周期までの元素の電子配置を書いていきます。
セクション3で学んだ3つのルールを使って、実際に各元素の電子配置を書いてみます。 軌道のエネルギー順序(1s → 2s → 2p → 3s → 3p → 4s → 3d → 4p)に従い、原子番号の順に電子を埋めていきます。
使える軌道は 1s のみです。
| 元素 | 原子番号 | 電子配置 |
|---|---|---|
| H | 1 | $1s^1$ |
| He | 2 | $1s^2$ |
He で 1s 軌道が満たされ、第1周期が完了します。第1周期が2元素しかないのは、$n = 1$ には s 軌道(1個)しかなく、最大2個の電子しか収容できないからです。
2s(最大2個)→ 2p(最大6個)の順に埋まるため、$2 + 6 = 8$ 元素が並びます。
| 元素 | 原子番号 | 電子配置 | 備考 |
|---|---|---|---|
| Li | 3 | $1s^2 \, 2s^1$ | |
| Be | 4 | $1s^2 \, 2s^2$ | 2s 充填完了 |
| B | 5 | $1s^2 \, 2s^2 \, 2p^1$ | |
| C | 6 | $1s^2 \, 2s^2 \, 2p^2$ | フントの規則:2つの 2p 軌道に1個ずつ |
| N | 7 | $1s^2 \, 2s^2 \, 2p^3$ | 3つの 2p 軌道にすべて1個ずつ(半充填) |
| O | 8 | $1s^2 \, 2s^2 \, 2p^4$ | 1つの 2p 軌道に2個目が入る |
| F | 9 | $1s^2 \, 2s^2 \, 2p^5$ | |
| Ne | 10 | $1s^2 \, 2s^2 \, 2p^6$ | 2p 充填完了(貴ガス配置) |
炭素(C)について補足します。$2p^2$ の2個の電子は、フントの規則に従い、3つある 2p 軌道($m_l = -1, 0, +1$)のうち2つに1個ずつ、スピンを揃えて入ります。 1つの軌道に2個入れるよりも、こちらの方がエネルギーが低い(安定である)ためです。
3s → 3p の順に埋まります。第2周期と同じ構造で、8元素が並びます。 表記を簡略化するために、前の貴ガスの電子配置を [Ne] と書く貴ガスコア表記を導入します。
| 元素 | 原子番号 | 電子配置 |
|---|---|---|
| Na | 11 | $[\text{Ne}] \, 3s^1$ |
| Mg | 12 | $[\text{Ne}] \, 3s^2$ |
| Al | 13 | $[\text{Ne}] \, 3s^2 \, 3p^1$ |
| Si | 14 | $[\text{Ne}] \, 3s^2 \, 3p^2$ |
| P | 15 | $[\text{Ne}] \, 3s^2 \, 3p^3$ |
| S | 16 | $[\text{Ne}] \, 3s^2 \, 3p^4$ |
| Cl | 17 | $[\text{Ne}] \, 3s^2 \, 3p^5$ |
| Ar | 18 | $[\text{Ne}] \, 3s^2 \, 3p^6$ |
Ar で 3s と 3p が充填され、第3周期が完了します。 M殻には 3d 軌道(最大10個)がまだ残っていますが、次に埋まるのは 3d ではなく 4s です。 ここがセクション1で述べた「M殻が8個で止まるように見える」理由であり、構成原理で説明できるポイントです。
4s → 3d → 4p の順に埋まるため、$2 + 10 + 6 = 18$ 元素が並びます。 第3周期(8元素)より10元素多いのは、3d 軌道(最大10個)が途中に挟まるためです。
| 元素 | 原子番号 | 電子配置 | 備考 |
|---|---|---|---|
| K | 19 | $[\text{Ar}] \, 4s^1$ | 3d ではなく 4s が先 |
| Ca | 20 | $[\text{Ar}] \, 4s^2$ | 4s 充填完了 |
| Sc | 21 | $[\text{Ar}] \, 3d^1 \, 4s^2$ | ここから 3d に入る |
| Ti | 22 | $[\text{Ar}] \, 3d^2 \, 4s^2$ | |
| V | 23 | $[\text{Ar}] \, 3d^3 \, 4s^2$ | |
| Cr | 24 | $[\text{Ar}] \, 3d^5 \, 4s^1$ | 例外(セクション6で解説) |
| Mn | 25 | $[\text{Ar}] \, 3d^5 \, 4s^2$ | 3d 半充填 |
| Fe | 26 | $[\text{Ar}] \, 3d^6 \, 4s^2$ | |
| Co | 27 | $[\text{Ar}] \, 3d^7 \, 4s^2$ | |
| Ni | 28 | $[\text{Ar}] \, 3d^8 \, 4s^2$ | |
| Cu | 29 | $[\text{Ar}] \, 3d^{10} \, 4s^1$ | 例外(セクション6で解説) |
| Zn | 30 | $[\text{Ar}] \, 3d^{10} \, 4s^2$ | 3d 完全充填 |
| Ga | 31 | $[\text{Ar}] \, 3d^{10} \, 4s^2 \, 4p^1$ | ここから 4p に入る |
| ... | ... | ... | |
| Kr | 36 | $[\text{Ar}] \, 3d^{10} \, 4s^2 \, 4p^6$ | 第4周期完了 |
この表を見ると、カリウム(K)の配置 $[\text{Ar}] \, 4s^1$ が自然に導かれることがわかります。 Ar で 3p まで埋まった後、エネルギー順で次に来るのは 4s であり、3d ではありません。 セクション1で述べた「なぜM殻は8個で止まるのか」という問いへの答えは、 「M殻が8個で止まるのではなく、3p の次は 4s の方がエネルギーが低いので、4s が先に埋まる」ということです。 3d が埋まるのは Sc(原子番号21)以降であり、Sc〜Zn の10元素が遷移金属と呼ばれるグループを形成します。
ここまでで、構成原理の3つのルールを使って第4周期までの電子配置を書くことができました。 次のセクションでは、この結果から周期表の構造がどのように現れるかを見ていきます。
セクション4で書いた電子配置を、最後に電子が入った副殻に注目して整理すると、周期表が4つのブロックに分かれることがわかります。
s ブロック:最後の電子が $ns$ 軌道に入る元素。第1族(Li, Na, K, ...)と第2族(Be, Mg, Ca, ...)。各周期2元素。
p ブロック:最後の電子が $np$ 軌道に入る元素。第13〜18族(B〜Ne, Al〜Ar, Ga〜Kr, ...)。各周期6元素。
d ブロック:最後の電子が $(n-1)d$ 軌道に入る元素。第3〜12族(Sc〜Zn, Y〜Cd, ...)。各周期10元素。遷移金属。
f ブロック:最後の電子が $(n-2)f$ 軌道に入る元素。ランタノイド・アクチノイド。各周期14元素。
各ブロックの元素数は、対応する副殻の最大電子数(s: 2, p: 6, d: 10, f: 14)と一致します。 これは偶然ではなく、各副殻が満たされるまでの元素が一つのブロックを形成するという、構成原理の直接的な帰結です。
各周期の元素数を、ブロックの観点から整理してみます。
| 周期 | 含まれるブロック | 元素数 | 計算 |
|---|---|---|---|
| 第1周期 | s のみ | 2 | $2$ |
| 第2周期 | s + p | 8 | $2 + 6$ |
| 第3周期 | s + p | 8 | $2 + 6$ |
| 第4周期 | s + d + p | 18 | $2 + 10 + 6$ |
| 第5周期 | s + d + p | 18 | $2 + 10 + 6$ |
| 第6周期 | s + f + d + p | 32 | $2 + 14 + 10 + 6$ |
周期表が「2, 8, 8, 18, 18, 32, ...」という元素数の並びを持つ理由が、ここで完全に説明できます。 第3周期から第4周期で元素数が8から18に増えるのは、d ブロック(10元素)が加わるからであり、 第5周期から第6周期で18から32に増えるのは、f ブロック(14元素)が加わるからです。
周期表の構造は、人為的な整理の結果ではありません。各副殻の軌道の数 $(2l + 1)$ とパウリの排他原理(1軌道に2個)が定める最大電子数 $2(2l + 1)$ によって、ブロックの幅(元素数)が決まります。
s ブロック = 2元素、p ブロック = 6元素、d ブロック = 10元素、f ブロック = 14元素 ── これらの数は量子数 $l$ の値だけで決まります。周期表の形は、原子の中の電子の振る舞いを記述する量子力学によって決められているのです。
周期表の同じ族に属する元素は、最外殻(価電子殻)の電子配置が共通しています。 たとえば、第1族の元素はすべて $ns^1$ という配置を持ちます。
| 族 | 価電子配置 | 具体例 |
|---|---|---|
| 第1族 | $ns^1$ | Li: $2s^1$, Na: $3s^1$, K: $4s^1$ |
| 第2族 | $ns^2$ | Be: $2s^2$, Mg: $3s^2$, Ca: $4s^2$ |
| 第17族 | $ns^2 \, np^5$ | F: $2s^2 \, 2p^5$, Cl: $3s^2 \, 3p^5$ |
| 第18族 | $ns^2 \, np^6$ | Ne: $2s^2 \, 2p^6$, Ar: $3s^2 \, 3p^6$ |
高校では「同族元素は性質が似ている」と学びます。大学の視点では、この類似性の根拠が価電子配置の共通性にあることがわかります。 化学反応に関与するのは主に最外殻(価電子殻)の電子であり、価電子配置が同じであれば反応パターンも類似するのです。 たとえば、ハロゲン(第17族)がすべて1価の陰イオンを作りやすいのは、$np^5$ にあと1個の電子を加えれば貴ガス配置($np^6$)になるからです。
ここまでで、構成原理に従って電子を詰めるだけで周期表のブロック構造が現れ、同族元素の化学的類似性まで説明できることがわかりました。 しかし、セクション4の表で Cr と Cu に「例外」と書いた配置があります。 次のセクションでは、この例外がなぜ生じるのかを考えます。
セクション4の第4周期の表で、クロム(Cr, 原子番号24)と銅(Cu, 原子番号29)の電子配置が構成原理の予測からずれていることに触れました。 具体的には次の通りです。
| 元素 | 構成原理の予測 | 実測の電子配置 |
|---|---|---|
| Cr | $[\text{Ar}] \, 3d^4 \, 4s^2$ | $[\text{Ar}] \, 3d^5 \, 4s^1$ |
| Cu | $[\text{Ar}] \, 3d^9 \, 4s^2$ | $[\text{Ar}] \, 3d^{10} \, 4s^1$ |
どちらの場合も、4s の電子1個が 3d に移っています。 Cr では $3d^4 \, 4s^2$ ではなく $3d^5 \, 4s^1$ が実現し、Cu では $3d^9 \, 4s^2$ ではなく $3d^{10} \, 4s^1$ が実現しています。
この例外を理解するための鍵は、d 軌道の半充填($d^5$)と完全充填($d^{10}$)が特に安定であるという事実です。
d 副殻には5つの軌道があります。フントの規則で述べたように、同じスピンの電子どうしは交換相互作用によりエネルギーが下がります。 $d^5$ では5つの軌道すべてに1個ずつ、同じスピンで電子が入るため、交換相互作用による安定化が最大になります。 $d^{10}$ では5つの軌道すべてが完全に埋まり、球対称な電子分布が実現するため、電子間反発が最小化されます。
Cr の場合:$3d^4 \, 4s^2$ よりも $3d^5 \, 4s^1$ の方が、d 軌道の半充填による安定化のエネルギー利得が、4s 電子を1個失うエネルギーコストを上回るため、後者が実現します。
Cu の場合:$3d^9 \, 4s^2$ よりも $3d^{10} \, 4s^1$ の方が、d 軌道の完全充填による安定化の利得が、4s 電子を1個失うコストを上回るため、後者が実現します。
第5周期以降でも同様の例外が見られます。 Mo(モリブデン)は Cr と同じ第6族で $[\text{Kr}] \, 4d^5 \, 5s^1$、 Ag(銀)は Cu と同じ第11族で $[\text{Kr}] \, 4d^{10} \, 5s^1$ という配置をとります。 同族元素で同じパターンの例外が繰り返されるのは、半充填・完全充填の安定性が同じ原理に基づいているからです。
ただし、第5周期以降では 4s/3d ほどエネルギー差が明確でない場合もあり、 Pd(パラジウム)のように $[\text{Kr}] \, 4d^{10} \, 5s^0$ という特殊な配置をとる元素もあります。 大学入試で問われるのは Cr と Cu が中心ですが、同じ原理で広く理解できることを知っておくと有益です。
ここまでで、構成原理とその例外を含めて、原子の電子配置を理解する枠組みが完成しました。 次のセクションでは、この知識を応用して、イオンの電子配置と安定な価数の予測に取り組みます。
典型元素(s ブロック・p ブロック)のイオンの価数は、電子配置から直接予測できます。 原則として、最も近い貴ガスの電子配置になるように電子を失うか獲得します。
| 元素 | 中性原子の配置 | イオンの配置 | 対応する貴ガス |
|---|---|---|---|
| $\text{Na}^+$ | $[\text{Ne}] \, 3s^1$ | $[\text{Ne}]$($= 1s^2 \, 2s^2 \, 2p^6$) | Ne |
| $\text{Mg}^{2+}$ | $[\text{Ne}] \, 3s^2$ | $[\text{Ne}]$ | Ne |
| $\text{Cl}^-$ | $[\text{Ne}] \, 3s^2 \, 3p^5$ | $[\text{Ne}] \, 3s^2 \, 3p^6 = [\text{Ar}]$ | Ar |
| $\text{O}^{2-}$ | $[\text{He}] \, 2s^2 \, 2p^4$ | $[\text{He}] \, 2s^2 \, 2p^6 = [\text{Ne}]$ | Ne |
高校で学ぶ「Na は1価の陽イオンになりやすい」「Cl は1価の陰イオンになりやすい」という事実は、 電子配置の観点からは「貴ガス配置に到達するために必要な電子の増減数」として理解できます。
遷移金属(d ブロック)のイオン化は、典型元素とは異なるパターンを示します。 セクション3のピットフォールで予告した通り、遷移金属がイオンになるとき、4s 電子が 3d 電子よりも先に失われます。
これは、中性原子では 4s が 3d より低エネルギーですが、電子が d 軌道に入り始めると遮蔽の状況が変化し、 イオンの状態では 3d の方が 4s よりもエネルギーが低くなるためです。 したがって、イオン化の際には、よりエネルギーの高い 4s から電子が取り除かれます。
| イオン | 中性原子の配置 | イオンの配置 | 備考 |
|---|---|---|---|
| $\text{Fe}^{2+}$ | $[\text{Ar}] \, 3d^6 \, 4s^2$ | $[\text{Ar}] \, 3d^6$ | 4s の2個が先に失われる |
| $\text{Fe}^{3+}$ | $[\text{Ar}] \, 3d^6 \, 4s^2$ | $[\text{Ar}] \, 3d^5$ | $d^5$ 半充填で安定 |
| $\text{Cu}^+$ | $[\text{Ar}] \, 3d^{10} \, 4s^1$ | $[\text{Ar}] \, 3d^{10}$ | $d^{10}$ 完全充填で安定 |
| $\text{Cu}^{2+}$ | $[\text{Ar}] \, 3d^{10} \, 4s^1$ | $[\text{Ar}] \, 3d^9$ | |
| $\text{Zn}^{2+}$ | $[\text{Ar}] \, 3d^{10} \, 4s^2$ | $[\text{Ar}] \, 3d^{10}$ | $d^{10}$ 完全充填で安定 |
$\text{Fe}^{3+}$ が $\text{Fe}^{2+}$ と並んで安定なイオンである理由が、ここで理解できます。 $\text{Fe}^{3+}$ の電子配置は $[\text{Ar}] \, 3d^5$ であり、d 軌道が半充填の安定配置です。 高校で「鉄は2価と3価のイオンを作る」と学びますが、3価が安定である背景には d 軌道の半充填の安定性があるのです。
同様に、$\text{Zn}^{2+}$($3d^{10}$)が亜鉛のほぼ唯一の安定なイオンである理由も、d 軌道の完全充填による安定性で説明できます。
遷移金属のイオン化では、(1) 4s 電子が先に失われること、(2) $d^5$(半充填)と $d^{10}$(完全充填)の配置が特に安定であること、の2つがポイントです。
これらを組み合わせると、遷移金属の「安定な価数」を電子配置から予測できます。 $\text{Fe}^{3+}$($d^5$)が安定なこと、$\text{Cu}^+$($d^{10}$)が存在すること、$\text{Mn}^{2+}$($d^5$)が安定なことは、すべて同じ原理で理解できます。
電子配置の理解は、イオン化エネルギーや原子半径の周期的な変化パターンを説明する基盤にもなります。 たとえば、第2周期で N のイオン化エネルギーが O よりも大きいのは、N が $2p^3$(半充填)の安定配置を持つためです。 この話題は 📖 C-1-3 イオン化エネルギーと電気陰性度 で詳しく扱います。
Q1. 構成原理(Aufbau原理)において、3p 軌道の次にエネルギーが低い軌道はどれですか。また、その理由を簡潔に説明してください。
Q2. パウリの排他原理から、d 副殻には最大何個の電子が入れますか。その根拠を量子数を用いて説明してください。
Q3. 鉄(Fe, 原子番号26)の基底状態の電子配置を貴ガスコア表記で書いてください。また、$\text{Fe}^{3+}$ の電子配置を書き、なぜ $\text{Fe}^{3+}$ が安定であるか説明してください。
Q4. 周期表の第4周期が18元素からなる理由を、ブロック構造の観点から説明してください。
次の元素の基底状態の電子配置を、貴ガスコア表記で書いてください。
(a) P(リン、原子番号15)
(b) Ti(チタン、原子番号22)
(c) Br(臭素、原子番号35)
(a) P:$[\text{Ne}] \, 3s^2 \, 3p^3$
(b) Ti:$[\text{Ar}] \, 3d^2 \, 4s^2$
(c) Br:$[\text{Ar}] \, 3d^{10} \, 4s^2 \, 4p^5$
(a) P は原子番号15。Ne(10個)の後、$3s^2 \, 3p^3$ で5個の電子を配置します。3p には3個が入りますが、フントの規則により3つの 3p 軌道に1個ずつ入ります。
(b) Ti は原子番号22。Ar(18個)の後、$4s^2$(2個)で 4s を埋め、残り2個が $3d^2$ に入ります。
(c) Br は原子番号35。Ar(18個)の後、$4s^2$(2個)→ $3d^{10}$(10個)→ $4p^5$(5個)で計17個を配置します。
次のイオンの電子配置を書き、そのイオンが安定である理由を電子配置の観点から説明してください。
(a) $\text{Mn}^{2+}$(マンガン、原子番号25)
(b) $\text{Cu}^+$(銅、原子番号29)
(a) Mn の中性原子:$[\text{Ar}] \, 3d^5 \, 4s^2$
$\text{Mn}^{2+}$:$[\text{Ar}] \, 3d^5$
安定である理由:4s 電子2個が先に失われ、d 軌道が半充填($d^5$)の配置になります。5つの d 軌道にすべて1個ずつ同じスピンで電子が入り、交換相互作用による安定化が最大となります。
(b) Cu の中性原子:$[\text{Ar}] \, 3d^{10} \, 4s^1$
$\text{Cu}^+$:$[\text{Ar}] \, 3d^{10}$
安定である理由:4s 電子1個が失われ、d 軌道が完全充填($d^{10}$)の配置になります。5つの d 軌道がすべて完全に埋まり、球対称な電子分布が実現するため安定です。
$(n + l)$ 則を用いて、次の軌道をエネルギーの低い順に並べてください。
5s, 4d, 4f, 6s, 5p, 5d
各軌道の $(n + l)$ の値を計算します。
5s: $(5 + 0) = 5$、4d: $(4 + 2) = 6$、4f: $(4 + 3) = 7$、6s: $(6 + 0) = 6$、5p: $(5 + 1) = 6$、5d: $(5 + 2) = 7$
$(n + l)$ の値が小さい順に並べます。同じ値の場合は $n$ が小さい方が低エネルギーです。
5s $(5)$ < 4d $(6, n=4)$ < 5p $(6, n=5)$ < 6s $(6, n=6)$ < 4f $(7, n=4)$ < 5d $(7, n=5)$
$(n + l)$ 則(マーデルングの規則)は、(1) $(n + l)$ が小さいほどエネルギーが低い、(2) $(n + l)$ が同じ場合は $n$ が小さい方が低い、という2段階のルールです。この規則に従うと、構成原理の軌道充填順序を機械的に決定できます。
次の問いに答えてください。
(a) 中性の Fe 原子では 4s が 3d よりも先に電子で埋まりますが、$\text{Fe}^{2+}$ では 4s 電子が先に失われ、3d 電子が残ります。この一見矛盾する事実を、遮蔽効果の変化を用いて説明してください。
(b) 構成原理に従えば Cr の電子配置は $[\text{Ar}] \, 3d^4 \, 4s^2$ と予測されますが、実際は $[\text{Ar}] \, 3d^5 \, 4s^1$ です。もし $3d^4 \, 4s^2$ の配置が実現したとした場合、4つの 3d 電子はフントの規則に従ってどのように配置されますか。また、$3d^5 \, 4s^1$ の方がエネルギー的に有利である理由を述べてください。
(a) 中性原子で 3p まで埋まった段階では、4s 電子は貫入効果により内殻電子の遮蔽をすり抜けて核に近づくことができるため、3d よりもエネルギーが低くなり、4s が先に埋まります。しかし、3d 軌道に電子が入り始めると状況が変わります。3d 電子は 4s 電子に対して効果的に遮蔽を行い、4s 電子が感じる有効核電荷が低下します。その結果、イオンの状態では 3d の方が 4s よりもエネルギーが低くなり、イオン化の際にはエネルギーの高い 4s 電子が先に失われます。
(b) 仮に $3d^4 \, 4s^2$ の配置が実現した場合、フントの規則により、4個の 3d 電子は5つの 3d 軌道のうち4つにそれぞれ1個ずつ、すべて同じスピンで配置されます(1つの軌道は空のまま)。一方、$3d^5 \, 4s^1$ では5つの 3d 軌道すべてに1個ずつ同じスピンで電子が入ります。$3d^5$(半充填)では交換相互作用に関与する同スピン電子対の数が $\binom{5}{2} = 10$ 組であるのに対し、$3d^4$ では $\binom{4}{2} = 6$ 組にとどまります。この追加の交換相互作用による安定化エネルギーが、4s 電子を1個を 3d に移すことによるエネルギーコストを上回るため、$3d^5 \, 4s^1$ が実現します。