高校化学では、$\text{NH}_3$、$\text{NO}$、$\text{NO}_2$、$\text{HNO}_3$ といった窒素化合物の性質や製法を個別に学びます。
オストワルト法は「$\text{NH}_3 \to \text{NO} \to \text{NO}_2 \to \text{HNO}_3$」という手順として覚え、それぞれの反応式を暗記します。
大学化学では、窒素原子の電子配置 $1s^2\,2s^2\,2p^3$ に立ち返ります。
5個の価電子($2s^2\,2p^3$)が $-3$ から $+5$ までの酸化数を可能にし、
どの酸化数が熱力学的に安定か、どの酸化数間の変換が起こりやすいかを、
電子配置と結合の性質から統一的に理解できます。
オストワルト法の各段階も、酸化数の段階的な変化として一つの流れで整理されます。
高校化学では、窒素とその化合物を次のように学びます。
オストワルト法は、$\text{NH}_3$ から $\text{HNO}_3$ を工業的に製造する方法として、次の3段階の反応式を覚えます。
$$4\text{NH}_3 + 5\text{O}_2 \xrightarrow{\text{Pt}} 4\text{NO} + 6\text{H}_2\text{O}$$
$$2\text{NO} + \text{O}_2 \to 2\text{NO}_2$$
$$3\text{NO}_2 + \text{H}_2\text{O} \to 2\text{HNO}_3 + \text{NO}$$
高校ではこれらを個別の事実として覚えますが、「なぜ窒素にはこれほど多くの化合物があるのか」「なぜ $\text{NH}_3$ から $\text{HNO}_3$ への変換が可能なのか」という問いには踏み込みません。 次のセクションでは、これらの問いに対して大学の視点がどのような答えを与えるかを見ていきます。
大学化学では、窒素化合物を「酸化数」という一本の軸で整理します。 窒素原子は $-3$ から $+5$ まで、9段階もの酸化数をとることができます。 この多彩さの根源は窒素の電子配置にあり、5個の価電子がすべて関与するか、逆にすべて受け取るかに応じて、酸化数の範囲が決まります。
この記事を読み終えると、以下のことができるようになります。
1. 窒素の電子配置から、$-3$ から $+5$ までの酸化数が可能である理由を説明できる
2. $\text{N}_2$ の三重結合の強さ(945 kJ/mol)が窒素化学全体の出発点であることを理解し、窒素の反応性の低さを定量的に説明できる
3. 各酸化数の代表的な窒素化合物の安定性と反応性を、電子配置から統一的に説明できる
4. オストワルト法の各段階を酸化数の変化として整理し、なぜこの順序で反応が進むかを説明できる
5. 窒素とリンの化学的性質の違いを、原子の大きさと利用可能な軌道の違いから説明できる
この見通しを得るために、まず窒素原子の電子配置と酸化数の関係をセクション3で確認します。
窒素(N、原子番号7)の電子配置は $1s^2\,2s^2\,2p^3$ です。 価電子は第2殻の $2s^2\,2p^3$ の5個です。 電子軌道の概念については 📖 第1章 C-1-1 で詳しく解説していますが、ここでのポイントは次の通りです。
$2p$ 軌道には3つの副軌道($2p_x$, $2p_y$, $2p_z$)があり、フントの規則に従って、3個の電子は1個ずつ別々の副軌道に入ります。 つまり、$2p$ の3つの軌道にはそれぞれ不対電子が1個ずつ存在します。 この不対電子の数が、窒素が形成できる共有結合の数と直接関係します。
酸化数の範囲は、価電子の数と空の軌道の数から決まります。
したがって、窒素の酸化数は $-3$ から $+5$ までの範囲をとります。 この幅は $5 - (-3) = 8$ であり、典型元素の中でも特に広い部類に入ります。 比較すると、酸素は $-2$ から $0$($\text{OF}_2$ を除く)、ハロゲンは $-1$ から $+7$(F以外)の範囲です。
| 酸化数 | 化合物 | 電子の状態 |
|---|---|---|
| $-3$ | $\text{NH}_3$, $\text{N}^{3-}$ | 価電子 $5 + 3 = 8$(閉殻) |
| $-2$ | $\text{N}_2\text{H}_4$(ヒドラジン) | 価電子 $5 + 2 = 7$ |
| $-1$ | $\text{NH}_2\text{OH}$(ヒドロキシルアミン) | 価電子 $5 + 1 = 6$ |
| $0$ | $\text{N}_2$ | 価電子 5(基底状態) |
| $+1$ | $\text{N}_2\text{O}$(一酸化二窒素) | 価電子 $5 - 1 = 4$ |
| $+2$ | NO(一酸化窒素) | 価電子 $5 - 2 = 3$ |
| $+3$ | $\text{HNO}_2$(亜硝酸) | 価電子 $5 - 3 = 2$ |
| $+4$ | $\text{NO}_2$(二酸化窒素) | 価電子 $5 - 4 = 1$(不対電子) |
| $+5$ | $\text{HNO}_3$, $\text{NO}_3^-$ | 価電子 $5 - 5 = 0$ |
「電子の状態」欄は、窒素に帰属される価電子数の概念的な見方です。 酸化数が増えるにつれて窒素上の電子密度が減少し、$+5$ では価電子をすべて酸素に供与した状態に相当します。
この表を眺めると、窒素化合物の多彩さが酸化数の幅の広さに直結していることがわかります。 しかし、「酸化数がとれる」ことと「その酸化数の化合物が安定に存在する」ことは別です。 窒素化学を理解するうえで最も重要な事実は、酸化数 $0$ の $\text{N}_2$ が圧倒的に安定であることです。 次のセクションでは、$\text{N}_2$ の三重結合がなぜそれほど強いのかを電子配置から理解します。
窒素原子は $2p$ 軌道に3個の不対電子を持っています。 2つの窒素原子が近づくと、これらの不対電子どうしが対をつくり、3本の共有結合が形成されます。 📖 第2章 C-2-2 で学んだ分子軌道(MO)法の言葉で言えば、1本の $\sigma$ 結合と2本の $\pi$ 結合からなる三重結合です。
$\text{N}_2$ の三重結合の結合エネルギーは実測値で 945 kJ/mol です。 この値は共有結合の中でも極めて大きく、$\text{C}$=$\text{O}$ の二重結合(799 kJ/mol)や $\text{O}_2$ の二重結合(498 kJ/mol)を大きく上回ります。
| 結合 | 結合の種類 | 結合エネルギー (kJ/mol) |
|---|---|---|
| $\text{N} \equiv \text{N}$ | 三重結合 | 945 |
| $\text{C} \equiv \text{O}$ | 三重結合 | 1072 |
| $\text{O} = \text{O}$ | 二重結合 | 498 |
| $\text{N} - \text{N}$ | 単結合 | 163 |
| $\text{N} = \text{N}$ | 二重結合 | 418 |
| $\text{N} - \text{H}$ | 単結合 | 391 |
ここで注目すべきは、$\text{N}-\text{N}$ 単結合のエネルギーが163 kJ/molと非常に小さいことです。 三重結合(945 kJ/mol)は単結合の約5.8倍ですが、単純に単結合の3倍($163 \times 3 = 489$ kJ/mol)にはなりません。 これは、$\text{N}_2$ の $\pi$ 結合が $p$ 軌道の側面重なりによって効果的に形成されるためです。 第2周期の窒素は原子が小さいため、$p$ 軌道どうしの重なりが大きく、$\pi$ 結合が強くなります。
$\text{N}_2$ の三重結合エネルギー(945 kJ/mol)は、窒素化学全体の出発点です。この値が大きいことから、以下の帰結が生まれます。
1. $\text{N}_2$ は常温で極めて不活性 ── 三重結合を切断するのに大きなエネルギーが必要なため、窒素は常温ではほとんどの物質と反応しません。
2. 窒素化合物の多くは熱力学的に $\text{N}_2$ に戻りたがる ── $\text{N}_2$ が安定すぎるため、他の酸化数の窒素化合物は分解反応で $\text{N}_2$ を生成する傾向があります。
3. 窒素の固定には大きなエネルギーが必要 ── ハーバー・ボッシュ法が高温($400\text{-}500\;{}^\circ\text{C}$)・高圧($100\text{-}300\;\text{atm}$)・触媒(Fe)を必要とする根本的な理由がここにあります。
📖 第2章 C-2-2 で学んだ分子軌道法を使うと、$\text{N}_2$ と NO の違いが明瞭に理解できます。
$\text{N}_2$(電子14個)の分子軌道への電子配置は、結合性軌道がすべて埋まり、反結合性軌道は空です。 結合次数は 3 であり、これが三重結合に対応します。 すべての電子が対になっているため、$\text{N}_2$ は反磁性で、化学的に安定です。
一方、NO(電子15個)は $\text{N}_2$ より電子が1個多く、その1個は反結合性の $\pi^*$ 軌道に入ります。 この電子は不対電子(対をつくっていない電子)であり、NOをラジカルにしています。 結合次数は $\frac{1}{2}(8 - 3) = 2.5$ です。 結合次数が $\text{N}_2$ の3より小さいため、NO の結合は $\text{N}_2$ より弱く(結合エネルギー 631 kJ/mol)、結合距離も長くなります($\text{N}_2$: 110 pm、NO: 115 pm)。
同様に、$\text{NO}_2$(窒素の酸化数 $+4$)も不対電子を1個持つラジカルです。 $\text{NO}_2$ が赤褐色を呈するのは、この不対電子に関連する電子遷移が可視光領域にあるためです。 また、$\text{NO}_2$ は不対電子どうしを対にして二量体 $\text{N}_2\text{O}_4$ を形成しやすく、低温では $\text{N}_2\text{O}_4$(無色)が優勢になります。
誤解:高校で学ぶルイス構造式(電子式)では、すべての電子が結合に使われるか孤立電子対になるので、「不対電子を持つ安定な分子」は想像しにくい。
正しい理解:NOは全電子数が奇数(15個)なので、どのように電子を配分しても1個は対にならず残ります。 分子軌道法ではこの電子は $\pi^*$ 反結合性軌道に入ると理解でき、NOが反応性の高いラジカルであることが自然に導かれます。 NOの反応性の高さ(空気中で直ちに $\text{O}_2$ と反応して $\text{NO}_2$ になる)は、この不対電子が原因です。
ここまでで、$\text{N}_2$ の三重結合の強さと、NO・$\text{NO}_2$ のラジカル性を電子配置から理解しました。 次のセクションでは、各酸化数の窒素化合物を体系的に見ていき、酸化数と安定性・反応性の関係を整理します。
窒素が電子を3個受け取った状態です。$\text{NH}_3$ では窒素は3本の $\text{N}-\text{H}$ 結合を形成し、1組の孤立電子対を持ちます。 📖 第2章 C-2-3 で学ぶ VSEPR 理論によれば、電子対は4方向に分布し、分子の形は三角錐形になります。
$\text{NH}_3$ が塩基として働くのは、この孤立電子対が $\text{H}^+$ を受け取る能力を持つからです(ブレンステッド塩基)。 また、孤立電子対を金属イオンに供与することで配位結合を形成し、$[\text{Cu}(\text{NH}_3)_4]^{2+}$(テトラアンミン銅(II)イオン)などの錯イオンをつくります。 このように、$\text{NH}_3$ の化学は「窒素上の孤立電子対」に帰着します。
酸化数 $-3$ は窒素の最低酸化数であるため、$\text{NH}_3$ はこれ以上還元されることはありません。 逆に言えば、$\text{NH}_3$ は酸化されうる(酸化数を上げうる)化合物であり、実際にオストワルト法ではこの性質が利用されます。
セクション4で述べた通り、三重結合エネルギー 945 kJ/mol により、$\text{N}_2$ は熱力学的に極めて安定です。 生成ギブズエネルギーの基準点($\Delta_f G^\circ = 0$)そのものなので、他の窒素化合物はすべて $\text{N}_2$ と比較して安定性が評価されます。
セクション4で述べたように、NOは不対電子を持つラジカルです。 NOの生成反応は次の通りです。
$$\text{N}_2 + \text{O}_2 \to 2\text{NO} \quad \Delta_f H^\circ = +90.3 \; \text{kJ/mol}$$
生成エンタルピーが正であり、NOは $\text{N}_2$ と $\text{O}_2$ に比べて不安定です。 $\text{N} \equiv \text{N}$ の三重結合(945 kJ/mol)と $\text{O} = \text{O}$ の二重結合(498 kJ/mol)を切って NO の結合(631 kJ/mol)を2本つくるので、差し引きエネルギーが足りません。 具体的には、結合エネルギーで概算すると次のようになります。
切断する結合のエネルギー(吸熱):
$\text{N} \equiv \text{N}$: $945$ kJ/mol + $\text{O} = \text{O}$: $498$ kJ/mol = $1443$ kJ/mol
形成する結合のエネルギー(発熱):
NO 2本分: $631 \times 2 = 1262$ kJ/mol
差引き:$1443 - 1262 = +181$ kJ(2 mol あたり)
1 mol あたり $+181/2 \approx +90$ kJ/mol。実測値 $+90.3$ kJ/mol とよく一致します。
NOは空気中で直ちに $\text{O}_2$ と反応して $\text{NO}_2$ になります。 これはNOが不対電子を持つラジカルであることに加え、この酸化反応が発熱的だからです。
$\text{NO}_2$ も不対電子を持つラジカルです。 赤褐色の有毒な気体で、水と反応すると硝酸と一酸化窒素を生じます。
$$3\text{NO}_2 + \text{H}_2\text{O} \to 2\text{HNO}_3 + \text{NO}$$
この反応を酸化数の変化で見ると、$\text{NO}_2$ 中の窒素($+4$)のうち $\frac{2}{3}$ が $+5$($\text{HNO}_3$)に酸化され、$\frac{1}{3}$ が $+2$(NO)に還元されています。 つまり $\text{NO}_2$ は不均化反応(同じ物質が酸化剤と還元剤の両方の役割を果たす反応)を起こしています。 これは酸化数 $+4$ が $+5$ と $+2$ の中間にあり、どちらへも変化しうることを意味しています。
窒素の最高酸化数 $+5$ の化合物です。 5個の価電子をすべて使って酸素と結合しており、これ以上酸化されることはありません。 逆に言えば、$\text{HNO}_3$ は電子を受け取って酸化数を下げる(還元される)ことしかできず、これが硝酸の強い酸化力の根拠です。
高校でも学ぶ通り、希硝酸は銅を溶かして NO を生じ、濃硝酸は $\text{NO}_2$ を生じます。
$$3\text{Cu} + 8\text{HNO}_3(\text{dilute}) \to 3\text{Cu}(\text{NO}_3)_2 + 2\text{NO} + 4\text{H}_2\text{O}$$
$$\text{Cu} + 4\text{HNO}_3(\text{conc.}) \to \text{Cu}(\text{NO}_3)_2 + 2\text{NO}_2 + 2\text{H}_2\text{O}$$
酸化数の変化で見ると、希硝酸では $\text{N}: +5 \to +2$(3電子還元)、濃硝酸では $\text{N}: +5 \to +4$(1電子還元)です。 希硝酸の方が窒素の酸化数が大きく変化するのは、水が多い環境ではより安定な低酸化数($+2$)の生成物が有利になるためです。
$\text{NO}_3^-$ の窒素は3つの酸素と結合しており、平面三角形の構造をとります。 3本の $\text{N}-\text{O}$ 結合は等価で、結合距離はすべて 126 pm です。 これは $\text{N}-\text{O}$ 単結合(約 140 pm)と $\text{N}=\text{O}$ 二重結合(約 121 pm)の中間にあたります。
この等価性は共鳴(3つの等価なルイス構造の重ね合わせ)で説明されます。 各 $\text{N}-\text{O}$ 結合の結合次数は $4/3$($\sigma$ 結合1本 + $\pi$ 電子の非局在化)であり、 これが中間的な結合距離の原因です。
ここまでで、各酸化数の窒素化合物の特徴を電子配置と酸化数から統一的に理解できました。 次のセクションでは、この理解をオストワルト法に適用し、工業プロセス全体を酸化数の変化として整理します。
オストワルト法は、アンモニア($\text{NH}_3$)から硝酸($\text{HNO}_3$)を工業的に製造するプロセスです。 セクション1で見た3段階の反応を、今度は窒素の酸化数に注目して整理します。
$$4\text{NH}_3 + 5\text{O}_2 \xrightarrow{\text{Pt, 800-900}{}^\circ\text{C}} 4\text{NO} + 6\text{H}_2\text{O}$$
窒素の酸化数は $-3$ から $+2$ へ、5段階上がります。 1つの窒素原子あたり5個の電子を放出する大きな酸化です。 この反応は白金(Pt)触媒を用い、$800\text{-}900\;{}^\circ\text{C}$ の高温で行います。
なぜ触媒と高温が必要なのでしょうか。 セクション4で見た通り、$\text{N}_2$ の三重結合は 945 kJ/mol という大きな結合エネルギーを持ちます。 $\text{NH}_3$ を直接酸化する場合にも、$\text{N}-\text{H}$ 結合(391 kJ/mol)を切断し、$\text{N}-\text{O}$ 結合を形成する必要があり、活性化エネルギーが大きくなります。 白金触媒はこの活性化エネルギーを下げ、反応速度を実用的な水準に引き上げる役割を果たします。
なお、触媒がない場合、$\text{NH}_3$ の酸化は $\text{N}_2$ を生成する方向に進みやすくなります。
$$4\text{NH}_3 + 3\text{O}_2 \to 2\text{N}_2 + 6\text{H}_2\text{O}$$
この反応では窒素の酸化数は $-3 \to 0$ であり、$\text{N}_2$ という最も安定な形に戻ります。 白金触媒の重要な役割は、NO への選択的な酸化を実現し、$\text{N}_2$ への完全酸化を抑制することです。
$$2\text{NO} + \text{O}_2 \to 2\text{NO}_2$$
窒素の酸化数は $+2$ から $+4$ へ、2段階上がります。 この反応は室温でも自発的に進行し、触媒は不要です。 セクション4で述べたように、NOはラジカル(不対電子を持つ)であるため反応性が高く、$\text{O}_2$ と容易に反応します。
$$3\text{NO}_2 + \text{H}_2\text{O} \to 2\text{HNO}_3 + \text{NO}$$
セクション5で述べた通り、これは不均化反応です。 3分子の $\text{NO}_2$(N: $+4$)のうち、2分子の窒素は $+5$($\text{HNO}_3$)に酸化され、1分子の窒素は $+2$(NO)に還元されます。 生成した NO は第2段階に戻って再び酸化されるので、循環的にNOが利用されます。
| 段階 | 反応 | N の酸化数 | 変化量 | 条件 |
|---|---|---|---|---|
| 第1 | $\text{NH}_3 \to \text{NO}$ | $-3 \to +2$ | $+5$ | Pt触媒, 高温 |
| 第2 | $\text{NO} \to \text{NO}_2$ | $+2 \to +4$ | $+2$ | 室温, 自発的 |
| 第3 | $\text{NO}_2 \to \text{HNO}_3$ | $+4 \to +5$ | $+1$ | 水との反応 |
全体として、窒素の酸化数は $-3$ から $+5$ まで8段階上がります。 この大きな変化を一度に行うのではなく、3段階に分けて実行することで、各段階の反応条件を最適化しているのがオストワルト法の特徴です。
オストワルト法を酸化数の変化として見ると、暗記すべき内容は「$-3 \to +2 \to +4 \to +5$ の階段を上る」という一つの流れに集約されます。
第1段階が最も困難(酸化数変化 $+5$、高温と触媒が必要)であり、第2段階は自発的(NOのラジカル性)、第3段階は不均化($+4$ が $+5$ と $+2$ に分かれる)です。
この視点があれば、反応式の係数も「酸化数の変化 × 原子数 = 授受される電子の総数」から導き出せます。
ここまでで、窒素の酸化数の全体像とオストワルト法を統一的に理解しました。 次のセクションでは、窒素と同じ第15族(窒素族)のリンと比較し、同族でありながら化学的性質が大きく異なる理由を電子配置から説明します。
リン(P、原子番号15)の電子配置は $[\text{Ne}]\,3s^2\,3p^3$ です。 窒素と同じく価電子は5個であり、$-3$ から $+5$ までの酸化数をとることができます。 しかし、窒素とリンの化学は多くの点で異なります。
窒素とリンの化学的性質の最大の違いは、多重結合の形成しやすさにあります。
| 性質 | 窒素(第2周期) | リン(第3周期) |
|---|---|---|
| 原子半径 | 75 pm(共有結合半径) | 110 pm(共有結合半径) |
| $\pi$ 結合 | $2p$ 軌道の重なり大 → 強い $\pi$ 結合 | $3p$ 軌道が大きく拡散 → $\pi$ 結合が弱い |
| 単体の構造 | $\text{N}_2$(三重結合、$\text{N} \equiv \text{N}$) | $\text{P}_4$(正四面体、P$-$P 単結合) |
| 単結合の強さ | $\text{N}-\text{N}$: 163 kJ/mol(弱い) | $\text{P}-\text{P}$: 200 kJ/mol |
| 利用可能な軌道 | $2s$, $2p$ のみ($2d$ は存在しない) | $3s$, $3p$, $3d$ |
窒素は原子が小さいため $2p$ 軌道どうしの側面重なりが効果的であり、強い $\pi$ 結合を形成します。 そのため $\text{N}_2$ は三重結合の二原子分子として存在します。
一方、リンは原子が大きいため $3p$ 軌道が拡散しており、$\pi$ 結合の重なりが不十分です。 そのかわり、リンは単結合を多数形成する方が有利であり、 単体は4つのリン原子が6本の $\text{P}-\text{P}$ 単結合でつながった正四面体構造の $\text{P}_4$ として存在します。
リンは第3周期元素であるため、$3d$ 軌道を利用できます。 窒素は最大で4本の結合(3本の共有結合 + 1本の配位結合、例えば $\text{NH}_4^+$)しか形成できませんが、 リンは5本以上の結合を形成できます。 例えば、$\text{PCl}_5$(五塩化リン)ではリンは5本の $\text{P}-\text{Cl}$ 結合を持ち、三方両錐形の構造をとります。 対応する $\text{NCl}_5$ は存在しません。
リンの最も重要な化合物の一つがリン酸($\text{H}_3\text{PO}_4$)です。 リンの酸化数は $+5$ で、4つの酸素に囲まれた四面体構造をとります。 リン酸は三価の酸であり、水溶液中で3段階の電離を起こします。
$$\text{H}_3\text{PO}_4 \rightleftharpoons \text{H}^+ + \text{H}_2\text{PO}_4^- \quad K_{a1} = 7.1 \times 10^{-3}$$
$$\text{H}_2\text{PO}_4^- \rightleftharpoons \text{H}^+ + \text{HPO}_4^{2-} \quad K_{a2} = 6.3 \times 10^{-8}$$
$$\text{HPO}_4^{2-} \rightleftharpoons \text{H}^+ + \text{PO}_4^{3-} \quad K_{a3} = 4.2 \times 10^{-13}$$
各段階の電離定数 $K_a$ が $10^5$ 倍ずつ小さくなっていくのは、負に帯電したイオンからさらに $\text{H}^+$ を引き抜くのが困難になるためです。 これは多価の酸に共通する傾向であり、高校でも学ぶ内容です。
窒素とリンは同族元素ですが、対応する化合物の性質は大きく異なります。以下に代表的な対応をまとめます。
$\text{NH}_3$(気体、沸点 $-33\;{}^\circ\text{C}$)に対して $\text{PH}_3$(気体、沸点 $-87\;{}^\circ\text{C}$)。 $\text{NH}_3$ の沸点が高いのは、$\text{N}-\text{H}$ 間に水素結合が形成されるためです。 $\text{PH}_3$ は電気陰性度の差が小さく水素結合を形成しにくいため、沸点が低くなります。
$\text{HNO}_3$(強酸、強い酸化力)に対して $\text{H}_3\text{PO}_4$(中程度の酸、酸化力はほとんどない)。 硝酸の強い酸化力は、窒素の $+5$ 酸化数が不安定で還元されやすいことに由来します。 一方、リン酸では $+5$ の酸化数は安定であり、酸化力をほとんど示しません。
このように、同族でありながら窒素とリンの化学は多重結合の形成しやすさと利用可能な軌道の違いによって大きく分岐します。 窒素は強い $\pi$ 結合によって $\text{N}_2$ の三重結合という「安定の極致」を持つ一方、 リンは単結合のネットワーク($\text{P}_4$)や5配位化合物($\text{PCl}_5$)のように、結合の数で安定性を確保する戦略をとっています。
Q1. 窒素原子がとりうる酸化数の最大値と最小値をそれぞれ答え、その理由を電子配置から説明してください。
Q2. $\text{N}_2$ の三重結合のエネルギーは 945 kJ/mol です。これが窒素化学に与える影響を2つ挙げてください。
Q3. オストワルト法の第3段階($3\text{NO}_2 + \text{H}_2\text{O} \to 2\text{HNO}_3 + \text{NO}$)が「不均化反応」と呼ばれる理由を、酸化数の変化を用いて説明してください。
Q4. 窒素の単体は $\text{N}_2$(二原子分子)ですが、リンの単体は $\text{P}_4$(正四面体構造)です。この違いの原因を説明してください。
次の各化合物中の窒素の酸化数を求めてください。
(a) $\text{N}_2\text{O}$
(b) $\text{N}_2\text{H}_4$
(c) $\text{NO}_3^-$
(d) $\text{NH}_4^+$
(a) $\text{N}_2\text{O}$:酸素の酸化数は $-2$ なので、$2x + (-2) = 0$ より $x = +1$。
(b) $\text{N}_2\text{H}_4$:水素の酸化数は $+1$ なので、$2x + 4(+1) = 0$ より $x = -2$。
(c) $\text{NO}_3^-$:$x + 3(-2) = -1$ より $x = +5$。
(d) $\text{NH}_4^+$:$x + 4(+1) = +1$ より $x = -3$。
結合エネルギーの値を用いて、次の反応のエンタルピー変化を概算してください。
$$\text{N}_2 + 3\text{H}_2 \to 2\text{NH}_3$$
結合エネルギー:$\text{N} \equiv \text{N}$: 945 kJ/mol、$\text{H}-\text{H}$: 436 kJ/mol、$\text{N}-\text{H}$: 391 kJ/mol
切断する結合のエネルギー(吸熱):
$\text{N} \equiv \text{N}$: $945$ + $\text{H}-\text{H}$ 3本: $436 \times 3 = 1308$
合計: $945 + 1308 = 2253$ kJ
形成する結合のエネルギー(発熱):
$\text{N}-\text{H}$ 6本($\text{NH}_3$ 2分子 $\times$ 3本): $391 \times 6 = 2346$ kJ
$$\Delta H \approx 2253 - 2346 = -93 \; \text{kJ}$$
実測値は $\Delta H = -92.2$ kJ/mol であり、結合エネルギーからの概算とよく一致します。反応は発熱的ですが、$\text{N} \equiv \text{N}$ の三重結合を切断するための活性化エネルギーが非常に大きいため、常温では反応が進行しません。ハーバー・ボッシュ法で高温・高圧・鉄触媒が必要なのはこのためです。
オストワルト法の第1段階($4\text{NH}_3 + 5\text{O}_2 \to 4\text{NO} + 6\text{H}_2\text{O}$)について、次の問いに答えてください。
(a) この反応で窒素1原子あたり何個の電子が移動するか(酸化数の変化量として)を求めてください。
(b) $\text{NH}_3$ 10.0 mol からこの反応で生成する NO は理論上何 mol ですか。
(c) 生成した NO がすべて第2段階・第3段階を経て $\text{HNO}_3$ になるとすると、最終的に得られる $\text{HNO}_3$ は何 mol ですか。ただし第3段階で生成する NO もすべて再循環するものとします。
(a) 窒素の酸化数は $-3 \to +2$。変化量は $+2 - (-3) = 5$。窒素1原子あたり5個の電子が移動します。
(b) 反応式の係数より $\text{NH}_3 : \text{NO} = 4 : 4 = 1 : 1$。$\text{NH}_3$ 10.0 mol から NO 10.0 mol が生成します。
(c) NOがすべて再循環する場合、全体の反応式は次のように書けます。
$$\text{NH}_3 + 2\text{O}_2 \to \text{HNO}_3 + \text{H}_2\text{O}$$
よって $\text{NH}_3$ 10.0 mol から $\text{HNO}_3$ 10.0 mol が得られます。
第3段階では $3\text{NO}_2 + \text{H}_2\text{O} \to 2\text{HNO}_3 + \text{NO}$ であり、生成した NO は第2段階に戻って $\text{NO}_2$ に酸化され、再び第3段階に使われます。NOの再循環を考慮すると、最終的に $\text{NH}_3$ と $\text{HNO}_3$ は 1:1 の物質量比になります。窒素原子の酸化数は $-3$ から $+5$ まで変化し、この過程で $\text{O}_2$ が酸化剤として消費されます。
窒素の単体は $\text{N}_2$(二原子分子)であるのに対し、リンの単体は $\text{P}_4$(正四面体構造)です。 一方、窒素の $\text{N}-\text{N}$ 単結合のエネルギーは 163 kJ/mol、リンの $\text{P}-\text{P}$ 単結合のエネルギーは 200 kJ/mol です。
(a) $\text{N}_2$ の三重結合エネルギー(945 kJ/mol)が $\text{N}-\text{N}$ 単結合エネルギーの3倍($163 \times 3 = 489$ kJ/mol)よりはるかに大きい理由を、$p$ 軌道の重なりの観点から説明してください。
(b) リンでは三重結合の $\text{P} \equiv \text{P}$ よりも単結合の $\text{P}_4$ 構造の方が安定である理由を、(a) の考え方を用いて説明してください。
(c) この「第2周期 vs 第3周期」の違いは、酸素と硫黄の関係にも見られます。$\text{O}_2$(二重結合)と $\text{S}_8$(環状単結合構造)の違いを、同じ論理で説明してください。
(a) 窒素は第2周期元素であり、原子が小さいため $2p$ 軌道どうしの側面重なり($\pi$ 結合を形成する重なり)が効果的です。三重結合中の2本の $\pi$ 結合がそれぞれ大きなエネルギーを持つため、三重結合の全エネルギーは単結合の3倍をはるかに超えます。具体的には、$\pi$ 結合1本あたり $(945 - 163)/2 = 391$ kJ/mol の安定化をもたらしており、これは単結合($\sigma$ 結合 163 kJ/mol)の2倍以上です。
(b) リンは第3周期元素であり、原子が大きいため $3p$ 軌道が空間的に拡散しています。$\pi$ 結合の側面重なりが不十分であり、多重結合の追加的な安定化が小さくなります。その結果、$\text{P} \equiv \text{P}$ 三重結合のエネルギーは $\text{P}-\text{P}$ 単結合の3倍を大きく上回ることができません。4つのP原子が6本の単結合を形成する $\text{P}_4$ の方が、2つの $\text{P} \equiv \text{P}$ 三重結合を形成するよりもエネルギー的に有利になります。
(c) 酸素も第2周期元素であり、$2p$ 軌道の重なりが効果的なため、$\text{O}=\text{O}$ 二重結合(498 kJ/mol)が安定です。硫黄は第3周期で $3p$ 軌道が拡散しているため $\pi$ 結合が弱く、多重結合よりも $\text{S}-\text{S}$ 単結合(266 kJ/mol)を多数形成する方が有利です。そのため、硫黄は $\text{S}_8$ の環状構造として存在します。