高校化学では、カルボン酸とアルコールからエステルが生じる反応(エステル化)と、エステルが水で分解される反応(加水分解)を、それぞれ個別の反応式として学びます。
けん化(塩基性加水分解)もまた、別の反応として覚えます。
これらの反応がなぜ起こるのか、なぜエステル化は可逆でけん化は不可逆なのかについては、高校の範囲では十分に説明されません。
大学化学では、これらの反応をすべて求核アシル置換反応という一つの反応機構で理解します。
カルボニル基($\text{C=O}$)への求核付加に続いて脱離基が外れるという二段階の「付加-脱離メカニズム」を理解すれば、エステル化・加水分解・けん化・さらにはアミド結合の形成まで、同じ枠組みで説明できます。
高校化学では、カルボン酸とエステルに関して次のような反応を学びます。
カルボン酸とアルコールを酸触媒(濃硫酸)のもとで加熱すると、脱水縮合してエステルが生じます。
$$\text{R-COOH} + \text{R'-OH} \xrightleftharpoons[\text{}]{\text{H}^+} \text{R-COOR'} + \text{H}_2\text{O}$$
たとえば、酢酸とエタノールから酢酸エチルが生じる反応は、高校で最もよく出題されるエステル化の例です。 この反応は可逆反応であり、平衡状態に達すると正反応と逆反応の速度が等しくなります。
エステル化の逆反応、すなわちエステルに水を加えて酸触媒で加熱すると、カルボン酸とアルコールに戻ります。 これがエステルの加水分解です。
エステルに水酸化ナトリウム水溶液を加えて加熱すると、カルボン酸の塩(カルボン酸ナトリウム)とアルコールが生じます。 油脂(脂肪酸のグリセリンエステル)のけん化でセッケンが得られることは、高校化学の定番の話題です。
$$\text{R-COOR'} + \text{NaOH} \longrightarrow \text{R-COONa} + \text{R'-OH}$$
高校では、これらの反応式を覚え、「エステル化は可逆」「けん化は不可逆(実質的に完全に進行する)」という事実を受け入れます。 しかし、次のような疑問には答えていません。
次のセクションでは、これらの疑問にすべて答えられる統一的な視点を導入します。
大学化学では、エステル化・加水分解・けん化・アミド結合形成を、すべて求核アシル置換反応(nucleophilic acyl substitution)という一つの反応型として理解します。 この反応の本質は、カルボニル基($\text{C=O}$)の炭素に求核剤が付加し、その後に脱離基が外れるという付加-脱離メカニズムです。
この記事を読み終えると、以下のことができるようになります。
1. カルボン酸の酸性度を共鳴安定化から説明できる
2. 求核アシル置換反応の付加-脱離メカニズムを記述し、エステル化・加水分解・けん化・アミド結合形成に適用できる
3. 酸触媒エステル化が可逆で、塩基性加水分解(けん化)が不可逆である理由を、機構から論理的に説明できる
4. エステル化の平衡定数と収率の関係を定量的に計算できる
この統一的な理解を構築するために、まずカルボン酸の性質の根本 ── なぜカルボン酸が酸として振る舞うのか ── を確認する必要があります。 カルボキシラートイオンの安定性を理解することが、後の「けん化が不可逆である理由」を説明する鍵になるからです。
カルボン酸($\text{R-COOH}$)は、$\text{O-H}$ 結合からプロトン($\text{H}^+$)を放出してカルボキシラートイオン($\text{R-COO}^-$)を生じます。
$$\text{R-COOH} \rightleftharpoons \text{R-COO}^- + \text{H}^+$$
アルコール($\text{R-OH}$)にも $\text{O-H}$ 結合がありますが、アルコールの p$K_{\text{a}}$ は約 16 であるのに対し、カルボン酸の p$K_{\text{a}}$ は約 4〜5 です。 つまりカルボン酸はアルコールよりも約 $10^{11}$ 倍(= $10^{16-5}$)も強い酸です。 この大きな差の原因は、カルボキシラートイオンの共鳴安定化にあります。
📖 C-13-1 で学んだように、 共鳴とは、1つの分子の電子配置を複数のルイス構造の重ね合わせとして記述することです。 カルボキシラートイオンでは、負電荷が2つの酸素原子に等しく分散した2つの共鳴構造が書けます。
$$\text{R-C}(\text{=O})\text{-O}^- \longleftrightarrow \text{R-C}(\text{-O}^-)\text{=O}$$
この2つの共鳴構造は等価(エネルギー的に同等)です。 等価な共鳴構造が多いほど安定化の効果は大きくなります。 実際の分子では、2つの $\text{C-O}$ 結合の長さは等しく(約 126 pm)、負電荷は2つの酸素原子に半分ずつ分散しています。
一方、アルコールから生じるアルコキシドイオン($\text{R-O}^-$)では、負電荷は1つの酸素原子に局在しており、共鳴による安定化がありません。 共役塩基が安定であるほど、もとの酸からプロトンが外れやすくなります。 これが、カルボン酸がアルコールよりはるかに強い酸である理由です。
| 化合物 | 構造 | p$K_{\text{a}}$ |
|---|---|---|
| ギ酸 | $\text{HCOOH}$ | 3.75 |
| 酢酸 | $\text{CH}_3\text{COOH}$ | 4.76 |
| プロピオン酸 | $\text{CH}_3\text{CH}_2\text{COOH}$ | 4.87 |
| 安息香酸 | $\text{C}_6\text{H}_5\text{COOH}$ | 4.20 |
| エタノール(参考) | $\text{CH}_3\text{CH}_2\text{OH}$ | 15.9 |
これらは水溶液中で実験的に測定された値です。 カルボン酸のp$K_{\text{a}}$はおおむね 3〜5 の範囲にあり、アルコール(p$K_{\text{a}} \approx 16$)と比べて約 $10^{11}$ 倍強い酸です。 この差は、共役塩基の共鳴安定化の有無で説明されます。
カルボン酸の酸性度に加えて、もう一つ重要な性質があります。 カルボニル基($\text{C=O}$)の炭素は、酸素の高い電気陰性度によって部分正電荷($\delta^+$)を帯びています。 この電子不足な炭素は、電子豊富な種(求核剤)にとって格好の攻撃対象です。
📖 C-14-3 では、アルデヒドやケトンのカルボニル基への求核付加反応を学びました。 アルデヒド・ケトンでは、求核剤がカルボニル炭素に付加すると $\text{C=O}$ の $\pi$ 結合が切れ、酸素が負電荷を受け取ります。 このとき、炭素には「外れることのできる脱離基」がついていないため、付加生成物がそのまま最終生成物となります。
ところが、カルボン酸やエステルでは事情が異なります。 カルボニル炭素には $\text{OH}$ や $\text{OR'}$ のような脱離基がついています。 そのため、求核付加のあとに脱離基が外れるという第二段階が続きます。 これが付加-脱離メカニズムの核心であり、次のセクションで詳しく見ていきます。
セクション3で、カルボニル炭素が求核剤に攻撃されやすいこと、そしてカルボン酸やエステルにはカルボニル炭素に脱離基がついていることを確認しました。 この2つの事実を組み合わせると、求核アシル置換反応の全体像が見えてきます。
$$\text{R-C}(\text{=O})\text{-L} + \text{Nu}^- \longrightarrow \text{R-C}(\text{=O})\text{-Nu} + \text{L}^-$$
$\text{L}$ は脱離基($\text{OH}$、$\text{OR'}$、$\text{Cl}$ など)、$\text{Nu}^-$ は求核剤($\text{OH}^-$、$\text{OR'}^-$、$\text{NH}_2\text{R}$ など)です。 全体として見ると、カルボニル基の脱離基 $\text{L}$ が求核剤 $\text{Nu}$ で置き換わる「置換反応」です。
この一般式は、付加-脱離メカニズムから導かれる結果です。 脱離基と求核剤の組み合わせを変えるだけで、エステル化・加水分解・けん化・アミド結合形成をすべて記述できます。
この置換反応は、一段階で脱離基と求核剤が同時に入れ替わるのではなく、次の二段階で進行します。
第一段階(付加):求核剤 $\text{Nu}^-$ がカルボニル炭素を攻撃します。 カルボニルの $\pi$ 結合が切れ、酸素が負電荷を受け取り、炭素は一時的に4つの置換基($\text{R}$, $\text{O}^-$, $\text{L}$, $\text{Nu}$)を持つ四面体中間体を形成します。
$$\text{R-C}(\text{=O})\text{-L} + \text{Nu}^- \longrightarrow \text{R-C}(\text{O}^-)(\text{L})(\text{Nu})$$
この第一段階は、📖 C-14-3 で学んだ求核付加反応と同じです。 アルデヒドやケトンではここで反応が終わりますが、カルボン酸誘導体では次の段階が続きます。
第二段階(脱離):四面体中間体から脱離基 $\text{L}^-$ が外れ、$\text{C=O}$ 結合が再形成されます。
$$\text{R-C}(\text{O}^-)(\text{L})(\text{Nu}) \longrightarrow \text{R-C}(\text{=O})\text{-Nu} + \text{L}^-$$
なぜアルデヒド・ケトンでは第二段階が起こらないのか。 それは、アルデヒド・ケトンのカルボニル炭素についている置換基($\text{H}$ や $\text{R}$)が脱離基として外れにくいからです。 $\text{H}^-$(ヒドリドイオン)や $\text{R}^-$(カルバニオン)は非常に強い塩基であり、安定な脱離基ではありません。 一方、$\text{OH}^-$、$\text{OR}^-$、$\text{Cl}^-$ は比較的安定な脱離基であるため、カルボン酸やその誘導体では脱離が進行します。
アルデヒド・ケトンでは、カルボニル炭素に安定な脱離基がないため、求核付加で反応が完了します($\text{C=O}$ の $\pi$ 結合が切れたまま)。
カルボン酸・エステル・酸塩化物では、カルボニル炭素に安定な脱離基があるため、求核付加に続いて脱離が起こり、$\text{C=O}$ が再形成されます。脱離基が求核剤で置き換わるので、全体として「置換」反応になります。
つまり、求核アシル置換は、求核付加反応の延長線上にあります。第一段階は同じで、第二段階の有無は脱離基の安定性で決まります。
ここまでで、付加-脱離メカニズムの一般的な枠組みが明らかになりました。 次のセクションでは、この枠組みを具体的な反応 ── 酸触媒エステル化、酸触媒加水分解、塩基性加水分解(けん化)── に適用し、それぞれの反応で何が求核剤で何が脱離基かを特定します。 特に、「エステル化が可逆でけん化が不可逆である理由」が、このメカニズムから自然に導かれることを確認します。
酢酸($\text{CH}_3\text{COOH}$)とエタノール($\text{C}_2\text{H}_5\text{OH}$)のエステル化を例に、付加-脱離メカニズムを適用します。
酸触媒がなぜ必要かを理解するには、カルボニル基の反応性を考えます。 カルボン酸のカルボニル炭素は部分正電荷を帯びていますが、エステルやアルデヒドに比べると求核攻撃を受けにくい性質があります。 これは、カルボン酸の $\text{OH}$ 基の酸素の非共有電子対がカルボニルの $\pi$ 系と共鳴し、カルボニル炭素の電子不足を部分的に補うためです。
そこで酸触媒($\text{H}^+$)の出番です。$\text{H}^+$ がカルボニル酸素にプロトンを供与すると、カルボニル炭素の正電荷が増大し、求核攻撃を受けやすくなります。
段階 1(プロトン化):酸触媒 $\text{H}^+$ がカルボン酸のカルボニル酸素に結合し、カルボニル炭素の求電子性を高めます。
段階 2(求核付加):エタノールの酸素(求核剤)がカルボニル炭素を攻撃し、四面体中間体が生成します。
段階 3(プロトン移動):四面体中間体内部でプロトン移動が起こり、もとのカルボン酸の $\text{OH}$ が良い脱離基($\text{H}_2\text{O}$)に変換されます。
段階 4(脱離):水分子が脱離し、$\text{C=O}$ 結合が再形成されます。
段階 5(脱プロトン化):生成物からプロトンが外れ、エステル(酢酸エチル)が生じます。$\text{H}^+$ は触媒として再生されます。
この機構の重要なポイントは、$\text{H}^+$ が最初に加えられ、最後に再生されること ── すなわち触媒として機能していること ── です。 また、脱離するのはカルボン酸側の $\text{OH}$ であり、水分子として外れます。 これは放射性同位体 ${}^{18}\text{O}$ を使った実験(アルコール側の酸素に ${}^{18}\text{O}$ を導入すると、生成物のエステルに ${}^{18}\text{O}$ が残り、脱離した水には含まれない)で実証されています。
エステルの酸触媒加水分解は、上記のエステル化の正確な逆反応です。 水($\text{H}_2\text{O}$)が求核剤としてエステルのカルボニル炭素を攻撃し、四面体中間体を経て $\text{OR'}$ が脱離します。
エステル化と加水分解が同じ四面体中間体を経由するため、この反応は原理的に可逆です。 平衡状態では、エステル化と加水分解の反応速度が等しくなります。 典型的な酸触媒エステル化の平衡定数 $K$ は 1〜10 程度であり、完全には進行しません。
誤解:カルボン酸とアルコールを混ぜれば、すべてエステルになる。
正しい理解:酸触媒エステル化は可逆反応であり、平衡定数 $K$ はおおむね 1〜10 です。酢酸とエタノールの場合、$K \approx 4$($25 \; {}^\circ\text{C}$)であり、等モルで混合すると平衡時のエステル収率は約 67% にとどまります。収率を上げるには、ルシャトリエの原理に基づき、一方の原料を過剰に加えるか、生成した水を除去する必要があります。
けん化では、求核剤は $\text{OH}^-$(水酸化物イオン)です。 $\text{OH}^-$ は水 $\text{H}_2\text{O}$ よりもはるかに強い求核剤であるため、酸触媒なしでもエステルのカルボニル炭素を直接攻撃できます。
第一段階:$\text{OH}^-$ がエステルのカルボニル炭素に求核付加し、四面体中間体を形成します。
第二段階:四面体中間体から $\text{OR'}^-$(アルコキシド)が脱離し、カルボン酸が生じます。
ここまでは可逆反応です。しかし、その直後に決定的な段階が起こります。
第三段階(酸塩基反応):生じたカルボン酸($\text{R-COOH}$, p$K_{\text{a}} \approx 5$)は、脱離したアルコキシド($\text{R'-O}^-$, 共役酸の p$K_{\text{a}} \approx 16$)よりもはるかに強い酸です。 そのため、カルボン酸はアルコキシドに直ちにプロトンを移し、カルボキシラートイオン($\text{R-COO}^-$)とアルコール($\text{R'-OH}$)が生じます。
$$\text{R-COOH} + \text{R'-O}^- \longrightarrow \text{R-COO}^- + \text{R'-OH}$$
このプロトン移動の平衡定数は非常に大きく($K = 10^{16-5} = 10^{11}$)、事実上不可逆です。 セクション3で確認したカルボキシラートイオンの共鳴安定化が、ここで効いてきます。 カルボキシラートイオンは共鳴によって安定化されているため、逆反応(カルボキシラートイオンがプロトンを受け取ってカルボン酸に戻る反応)はほとんど起こりません。
けん化(塩基性加水分解)が不可逆である理由は、加水分解自体が不可逆なのではなく、その直後の酸塩基反応が不可逆だからです。
カルボン酸(p$K_{\text{a}} \approx 5$)がアルコキシドイオン(共役酸の p$K_{\text{a}} \approx 16$)にプロトンを移す反応は、p$K_{\text{a}}$ の差が約 11 もあるため、平衡は生成物側に $10^{11}$ 倍偏ります。
最終生成物であるカルボキシラートイオン $\text{R-COO}^-$ は共鳴で安定化されており、エステルに戻るための求核剤($\text{R'-O}^-$)は系内でアルコール($\text{R'-OH}$)に変わっているため、逆反応が起こりません。
付加-脱離メカニズムの適用範囲は、エステル化・加水分解・けん化にとどまりません。 カルボン酸(またはその活性化体)とアミン($\text{R'-NH}_2$)の反応でも同じメカニズムが働き、アミド結合($\text{R-CO-NHR'}$)が生成します。
$$\text{R-C}(\text{=O})\text{-L} + \text{R'-NH}_2 \longrightarrow \text{R-C}(\text{=O})\text{-NHR'} + \text{HL}$$
アミンの窒素が求核剤として働き、カルボニル炭素に付加した後、脱離基 $\text{L}$ が外れます。 タンパク質を構成するペプチド結合は、アミノ酸のカルボキシ基とアミノ基の間で形成されるアミド結合です。 生体内では酵素が触媒しますが、反応の本質は求核アシル置換反応です。
求核アシル置換反応では、脱離基の良さ(安定性)が反応性を左右します。カルボン酸誘導体の反応性は、次の順に高くなります。
アミド $<$ エステル $<$ カルボン酸(酸無水物)$<$ 酸塩化物
酸塩化物($\text{R-COCl}$)は $\text{Cl}^-$ が安定な脱離基であるため最も反応性が高く、室温でもアルコールやアミンと速やかに反応します。一方、アミド($\text{R-CONHR'}$)は $\text{NHR'}^-$ が不安定な脱離基であるため反応性が低く、加水分解には強い酸や塩基と加熱が必要です。この序列は脱離基の塩基性(p$K_{\text{a}}$)から予測できます。
ここまでで、付加-脱離メカニズムによる統一的な理解が完成しました。 次のセクションでは、この理解を数値計算に応用し、エステル化の平衡定数から収率を定量的に求める方法を確認します。
酢酸とエタノールのエステル化反応を具体例として、平衡定数から収率を計算します。
$$\text{CH}_3\text{COOH} + \text{C}_2\text{H}_5\text{OH} \rightleftharpoons \text{CH}_3\text{COOC}_2\text{H}_5 + \text{H}_2\text{O}$$
この反応の $25 \; {}^\circ\text{C}$ における平衡定数は実験的に次の値が得られています。
$$K = \frac{[\text{CH}_3\text{COOC}_2\text{H}_5][\text{H}_2\text{O}]}{[\text{CH}_3\text{COOH}][\text{C}_2\text{H}_5\text{OH}]} \approx 4.0$$
酢酸とエタノールをそれぞれ 1.0 mol ずつ混合した場合を考えます(溶媒なし、液相のみ)。 反応が進んで平衡に達したとき、エステルが $x$ mol 生成したとすると、各成分の物質量は次のようになります。
| $\text{CH}_3\text{COOH}$ | $\text{C}_2\text{H}_5\text{OH}$ | $\text{CH}_3\text{COOC}_2\text{H}_5$ | $\text{H}_2\text{O}$ | |
|---|---|---|---|---|
| 初期 (mol) | 1.0 | 1.0 | 0 | 0 |
| 変化 (mol) | $-x$ | $-x$ | $+x$ | $+x$ |
| 平衡 (mol) | $1.0 - x$ | $1.0 - x$ | $x$ | $x$ |
この反応は液相で進行し、すべての成分が液体として混合しているため、濃度の代わりにモル分率を使うこともできますが、全成分の物質量の合計が反応前後で変化しない(2.0 mol のまま)ため、体積で割ったモル濃度の比はモル数の比と一致します。 したがって、平衡定数の式は次のように書けます。
$$K = \frac{x \cdot x}{(1.0 - x)(1.0 - x)} = \frac{x^2}{(1.0 - x)^2} = 4.0$$
両辺の平方根をとると、
$$\frac{x}{1.0 - x} = 2.0$$
$$x = 2.0(1.0 - x) = 2.0 - 2.0x$$
$$3.0x = 2.0$$
$$x = 0.67 \; \text{mol}$$
エステルの収率は $0.67 / 1.0 = 67\%$ です。 $K = 4.0$ という値は「やや生成物有利」ですが、1/3 の原料が未反応のまま残ることになります。
収率を上げるために、エタノールを 3.0 mol に増やして酢酸 1.0 mol と反応させた場合を計算します。
| $\text{CH}_3\text{COOH}$ | $\text{C}_2\text{H}_5\text{OH}$ | $\text{CH}_3\text{COOC}_2\text{H}_5$ | $\text{H}_2\text{O}$ | |
|---|---|---|---|---|
| 初期 (mol) | 1.0 | 3.0 | 0 | 0 |
| 変化 (mol) | $-x$ | $-x$ | $+x$ | $+x$ |
| 平衡 (mol) | $1.0 - x$ | $3.0 - x$ | $x$ | $x$ |
$$K = \frac{x^2}{(1.0 - x)(3.0 - x)} = 4.0$$
展開すると、
$$x^2 = 4.0(3.0 - 4.0x + x^2)$$
$$x^2 = 12.0 - 16.0x + 4.0x^2$$
$$3.0x^2 - 16.0x + 12.0 = 0$$
二次方程式の解の公式を使います。
$$x = \frac{16.0 \pm \sqrt{256.0 - 144.0}}{6.0} = \frac{16.0 \pm \sqrt{112.0}}{6.0} = \frac{16.0 \pm 10.58}{6.0}$$
$x = 4.43$ は $x \leq 1.0$ の条件を満たさないため不適です。したがって、
$$x = \frac{16.0 - 10.58}{6.0} = \frac{5.42}{6.0} = 0.90 \; \text{mol}$$
酢酸を基準にした収率は $0.90 / 1.0 = 90\%$ です。 エタノールを3倍量に増やすだけで、収率が 67% から 90% に上昇しました。 これはルシャトリエの原理の定量的な確認です。平衡定数 $K$ 自体は変化しませんが、一方の原料を過剰にすることで、もう一方の変換率を高めることができます。
実際の工業プロセスでは、収率を上げるために次のような方法が使われています。
(1) 原料の一方を過剰に使う:上の計算例で示した方法です。
(2) 生成した水を除去する:共沸蒸留やモレキュラーシーブ(分子篩)を使い、生成する水を系から取り除くと、ルシャトリエの原理により平衡が生成物側に移動します。
(3) ディーン・スターク装置:トルエンなどの共沸溶媒と水の共沸混合物を蒸留で除去し、溶媒のみを反応系に戻す装置です。これにより連続的に水を除去できます。
Q1. カルボン酸がアルコールより強い酸である理由を、共役塩基の安定性の観点から説明してください。
Q2. 求核アシル置換反応がアルデヒド・ケトンでは起こらず、カルボン酸誘導体で起こる理由を説明してください。
Q3. 酸触媒エステル化において、脱離するのはカルボン酸側の $\text{OH}$ ですか、アルコール側の $\text{OH}$ ですか。その理由も含めて答えてください。
Q4. けん化が不可逆である理由を、p$K_{\text{a}}$ の値を用いて定量的に説明してください。
次の反応を、「求核剤」「カルボニル基を持つ基質」「脱離基」「生成物」に分類してください。
(a) 酢酸とメタノールの酸触媒エステル化
(b) 酢酸エチルの水酸化ナトリウムによるけん化
(c) 塩化アセチル($\text{CH}_3\text{COCl}$)とエタノールの反応
(a) 基質:酢酸($\text{CH}_3\text{COOH}$)、求核剤:メタノール($\text{CH}_3\text{OH}$)、脱離基:$\text{OH}$($\text{H}_2\text{O}$ として脱離)、生成物:酢酸メチル($\text{CH}_3\text{COOCH}_3$)
(b) 基質:酢酸エチル($\text{CH}_3\text{COOC}_2\text{H}_5$)、求核剤:$\text{OH}^-$、脱離基:$\text{OC}_2\text{H}_5$(エトキシド)、生成物:酢酸ナトリウム($\text{CH}_3\text{COONa}$)とエタノール
(c) 基質:塩化アセチル($\text{CH}_3\text{COCl}$)、求核剤:エタノール($\text{C}_2\text{H}_5\text{OH}$)、脱離基:$\text{Cl}^-$、生成物:酢酸エチル($\text{CH}_3\text{COOC}_2\text{H}_5$)
酢酸 2.0 mol とエタノール 2.0 mol を混合し、酸触媒のもとで平衡に達しました。 この反応の平衡定数を $K = 4.0$ として、平衡時のエステル(酢酸エチル)の物質量と収率を求めてください。
エステルの生成量を $x$ mol とすると、平衡時の各成分の物質量は次の通りです。
$\text{CH}_3\text{COOH}$:$2.0 - x$ mol、$\text{C}_2\text{H}_5\text{OH}$:$2.0 - x$ mol、$\text{CH}_3\text{COOC}_2\text{H}_5$:$x$ mol、$\text{H}_2\text{O}$:$x$ mol
$$K = \frac{x^2}{(2.0 - x)^2} = 4.0$$
$$\frac{x}{2.0 - x} = 2.0$$
$$x = 4.0 - 2.0x \quad \Rightarrow \quad 3.0x = 4.0 \quad \Rightarrow \quad x = 1.33 \; \text{mol}$$
収率 $= 1.33 / 2.0 = 67\%$
等モル混合の場合、初期量を 1.0 mol ずつにしても 2.0 mol ずつにしても、収率は同じ 67% です。これは平衡定数の式が比の形で書けるためです。収率は $K$ の値と初期のモル比のみで決まります。
酢酸 1.0 mol とエタノール 5.0 mol を混合し、酸触媒のもとで平衡に達しました($K = 4.0$)。 酢酸の変換率(酢酸基準の収率)を求めてください。
$$K = \frac{x^2}{(1.0 - x)(5.0 - x)} = 4.0$$
$$x^2 = 4.0(5.0 - 6.0x + x^2)$$
$$x^2 = 20.0 - 24.0x + 4.0x^2$$
$$3.0x^2 - 24.0x + 20.0 = 0$$
$$x = \frac{24.0 \pm \sqrt{576.0 - 240.0}}{6.0} = \frac{24.0 \pm \sqrt{336.0}}{6.0} = \frac{24.0 \pm 18.33}{6.0}$$
$x = 7.06$(不適、$x \leq 1.0$)または $x = 0.95$ mol
収率 $= 0.95 / 1.0 = 95\%$
エタノールを酢酸の5倍量にすると、収率は 95% まで上昇します。セクション6の計算例と合わせると、エタノール/酢酸のモル比が 1:1 → 3:1 → 5:1 と増えるにつれ、収率は 67% → 90% → 95% と上昇していくことがわかります。ただし、改善幅は徐々に小さくなります。
次の2つの反応について、それぞれの反応が可逆か不可逆かを判定し、その理由を付加-脱離メカニズムと酸塩基平衡の観点から説明してください。
(a) 酢酸エチルの酸触媒加水分解
(b) 酢酸エチルの水酸化ナトリウムによるけん化
(a) 酸触媒加水分解:可逆
酸触媒加水分解では、$\text{H}_2\text{O}$ が求核剤としてエステルのカルボニル炭素を攻撃し、四面体中間体を経てエトキシド基が脱離します(実際にはプロトン化を経てエタノールとして脱離)。この過程は、エステル化(酢酸 + エタノール → 酢酸エチル + 水)の正確な逆反応であり、同じ四面体中間体を経由します。正反応・逆反応ともに同じ酸触媒条件下で進行するため、反応は可逆であり、平衡定数 $K \approx 4$ に従って平衡に達します。
(b) けん化:不可逆
けん化では、$\text{OH}^-$ が求核剤としてエステルのカルボニル炭素を攻撃し、四面体中間体を経て $\text{C}_2\text{H}_5\text{O}^-$(エトキシド)が脱離します。ここまでは可逆です。しかし、脱離したエトキシド(共役酸の p$K_{\text{a}} \approx 16$)と生じた酢酸(p$K_{\text{a}} \approx 4.8$)の間で酸塩基反応が起こり、酢酸からエトキシドへプロトンが移動して酢酸イオン + エタノールが生じます。この反応の $K = 10^{16 - 4.8} \approx 10^{11}$ であり、事実上不可逆です。酢酸イオンは共鳴安定化されており、系中のエトキシドはすべてエタノールに変換されるため、逆反応(エステルの再形成)に必要な求核剤($\text{C}_2\text{H}_5\text{O}^-$)が存在せず、反応は不可逆となります。