第2章 化学結合

分子間力
─ ファンデルワールス力と水素結合の起源

高校化学では、分子間力を「ファンデルワールス力」と「水素結合」に分けて学び、沸点の高低を定性的に判断します。 しかし、「なぜ無極性分子どうしにも引力が働くのか」「水素結合はなぜ特に強いのか」という問いには、十分に答えられません。

大学化学では、すべての分子間力を電気双極子の相互作用という一つの視点から理解します。 永久双極子どうしの相互作用(配向力)、永久双極子が近くの分子を分極させる相互作用(誘起力)、電子の揺らぎが生む瞬間的な双極子どうしの相互作用(分散力)── この3つの成分はすべて「双極子が別の双極子を引きつける」という同じ原理に帰着します。 水素結合もまた、この枠組みの中で「なぜ特別に強いか」が明確になります。

1高校での扱い ─ 分子間力の分類と沸点の大小

高校化学では、分子からなる物質の沸点・融点を決める要因として分子間力を学びます。 分子間力は共有結合やイオン結合に比べてはるかに弱い力ですが、物質の三態(固体・液体・気体)を決定する重要な因子です。

高校では、分子間力を次の2種類に分けて学びます。

  • ファンデルワールス力:すべての分子間に働く弱い引力。分子量が大きいほど強くなる
  • 水素結合:F, O, N に結合した H が、別の分子の F, O, N の非共有電子対と形成する特別に強い結合

この分類を使って、高校では次のような判断を行います。

  • 無極性分子どうしの沸点の比較 → 分子量が大きいほど沸点が高い(ファンデルワールス力が強い)
  • $\text{H}_2\text{O}$ が $\text{H}_2\text{S}$ より沸点が高い理由 → 水素結合が存在するため
  • 同族元素の水素化合物の沸点の推移 → 16族なら $\text{H}_2\text{O}$ だけが異常に高い

これらの判断方法は実用的であり、入試問題を解くには十分です。 しかし、いくつかの疑問が残ります。なぜ無極性分子どうしに引力が働くのでしょうか。なぜ分子量が大きいほどファンデルワールス力が強くなるのでしょうか。そして、水素結合は他の分子間力と本質的に異なるものなのでしょうか。 次のセクションでは、これらの疑問に答える大学の視点を導入します。

2大学の視点で何が変わるか ─ 双極子の相互作用による統一

大学化学では、分子間力をより細かく分類し、そのすべてを電気双極子の相互作用として理解します。 高校で「ファンデルワールス力」と一括りにしていた力は、実は3つの異なる成分からなります。 そして水素結合も、この双極子相互作用の枠組みの中で理解できます。

高校 vs 大学:分子間力をどう理解するか
高校:2種類に分類
分子間力 = ファンデルワールス力 + 水素結合。
ファンデルワールス力の起源は深く問わない。
大学:双極子の相互作用として統一
ファンデルワールス力を配向力・誘起力・分散力の3成分に分解し、すべてを双極子の相互作用として理解する。
高校:「分子量が大きいほど強い」
ファンデルワールス力は分子量に依存する、と暗記する。
大学:分極率から説明する
電子数が多い(分子が大きい)ほど電子雲が変形しやすく(分極率が大きく)、分散力が強くなる。
高校:水素結合は「特別な結合」
F, O, N に結合した H が関与する、と暗記する。
大学:電気陰性度と原子サイズから説明
水素結合が特に強い理由を、双極子モーメントの大きさと接近距離から定量的に理解する。
双極子の相互作用から分子間力を統一的に理解する

この記事を読み終えると、以下のことができるようになります。

1. ファンデルワールス力の3成分(配向力・誘起力・分散力)を、それぞれどのような双極子の相互作用であるかを説明できる

2. 無極性分子にも引力が働く理由を、瞬間双極子と誘起双極子の概念を使って説明できる

3. 「分子量が大きいほどファンデルワールス力が強い」理由を、分極率の概念を使って説明できる

4. 水素結合がなぜ特に強いかを、電気陰性度と原子サイズから説明できる

5. 任意の分子の組について、分子間力の大小を予測し、沸点の高低を判断できる

この統一的な理解の基礎となるのが「電気双極子」と「双極子モーメント」の概念です。 次のセクションでは、これらの準備を行います。

3準備:電気双極子と双極子モーメント

分子間力の3成分を理解するには、電気双極子(electric dipole)の概念が必要です。 この概念は 📖 C-2-3 分子の形と極性 で詳しく扱っていますが、ここでは分子間力の議論に必要な要点を確認します。

電気双極子と双極子モーメント

正の電荷 $+q$ と負の電荷 $-q$ が距離 $d$ だけ離れて対になっている系を電気双極子と呼びます。 この双極子の「強さ」を表す量が双極子モーメント $\mu$ です。

双極子モーメント(定義)

$$\mu = q \times d$$

$\mu$:双極子モーメント(単位は $\text{C} \cdot \text{m}$、分子のスケールではデバイ D を使うことが多い。$1 \; \text{D} = 3.336 \times 10^{-30} \; \text{C} \cdot \text{m}$)。 $q$:電荷の大きさ(C)、$d$:正電荷と負電荷の間の距離(m)。

双極子モーメントは、電荷の偏り $q$ と距離 $d$ の積です。 つまり、電荷の偏りが大きいほど、また正負の電荷の重心が離れているほど、双極子モーメントは大きくなります。 この量が分子間力の強さを決める鍵となります。

📖 C-2-3 で学んだように、 分子全体の双極子モーメントは各結合の双極子モーメントのベクトル和です。 $\text{HCl}$ のような極性分子は永久的な双極子モーメント($\mu = 1.08 \; \text{D}$)を持ち、 $\text{CO}_2$ のような対称的な分子は結合の双極子が打ち消し合って $\mu = 0$ となります。

分極 ── 外部電場による双極子の誘起

分子間力の理解にはもう一つ重要な概念があります。 それは分極(polarization)です。

どんな分子でも、外部から電場が加わると、電子雲が電場の方向にわずかに偏ります。 正の電荷(原子核)は電場と反対方向に、負の電荷(電子)は電場の方向に引かれるため、もともと双極子モーメントを持たない無極性分子にも一時的な双極子が生じます。 このようにして生じた双極子を誘起双極子(induced dipole)と呼びます。

誘起双極子の大きさは、外部電場の強さ $E$ と、分子の分極率 $\alpha$ に比例します。

誘起双極子モーメント(定義的関係)

$$\mu_{\text{ind}} = \alpha E$$

$\mu_{\text{ind}}$:誘起双極子モーメント、$\alpha$:分極率(分子の電子雲の変形しやすさを表す量)、$E$:外部電場の強さ。

分極率 $\alpha$ は分子固有の量であり、「電場をかけたときにどれだけ電子雲が偏りやすいか」を示します。 電子数が多く、電子雲が広がっている(=分子が大きい)ほど、分極率は大きくなります。 これが「分子量が大きいほど分子間力が強い」理由の本質であり、セクション4で詳しく説明します。

ここまでで、双極子モーメントと分極率という2つの道具を準備しました。 次のセクションでは、この2つを使って、ファンデルワールス力の3成分をすべて双極子の相互作用として理解していきます。

4ファンデルワールス力の3成分

大学化学では、ファンデルワールス力(広義の分子間力から水素結合を除いたもの)を、双極子の種類の組み合わせに基づいて3つの成分に分類します。 いずれも「双極子が別の双極子を引きつける」という同じ原理に基づいています。

成分1:配向力(永久双極子 ─ 永久双極子)

極性分子は永久的な双極子モーメントを持っています(📖 C-2-3)。 2つの極性分子が近づくと、互いの双極子が引き合う向きに配向しようとします。 正の端と負の端が近づく配置が安定であり、正の端どうし・負の端どうしが近づく配置は不安定です。

この「永久双極子どうしの相互作用」を配向力(orientation force)、またはケーソム力(Keesom force)と呼びます。

配向力の強さは、両方の分子の双極子モーメントが大きいほど強くなります。 たとえば $\text{HCl}$($\mu = 1.08 \; \text{D}$)どうしの間には配向力が働きますが、 $\text{CO}_2$($\mu = 0$)には永久双極子がないため、配向力は働きません。

ただし注意が必要です。分子は絶えず熱運動しているため、低温でなければ双極子が完全に揃うことはありません。 熱運動によるランダムな回転と、双極子どうしの引力による配向のバランスの結果、配向力は温度が高いほど弱くなります。

成分2:誘起力(永久双極子 ─ 誘起双極子)

極性分子が無極性分子に近づいた場合を考えます。 極性分子の永久双極子が作る電場が、無極性分子の電子雲を歪ませ、誘起双極子を生じさせます。 セクション3で導入した $\mu_{\text{ind}} = \alpha E$ がまさにこの現象です。

誘起された双極子は、もとの永久双極子を引きつける向きに配向するため、2つの分子の間に引力が生じます。 この力を誘起力(induction force)、またはデバイ力(Debye force)と呼びます。

誘起力の強さは、永久双極子のモーメント $\mu$ と、相手の分子の分極率 $\alpha$ の両方に依存します。 $\mu$ が大きいほど強い電場を作り、$\alpha$ が大きいほど電子雲が歪みやすいからです。

配向力が極性分子どうしにしか働かないのに対し、誘起力は極性分子と無極性分子の間にも働く点が重要です。 たとえば、$\text{HCl}$(極性)と $\text{Ar}$(無極性)の間にも誘起力が存在します。

成分3:分散力(瞬間双極子 ─ 誘起双極子)

ここまでの2つの成分(配向力と誘起力)は、少なくとも一方の分子が永久双極子を持つ場合に働きます。 では、$\text{Ar}$ どうし、あるいは $\text{N}_2$ どうしのように、両方とも無極性分子の場合はどうでしょうか。

無極性分子には永久双極子がありません。しかし、ある瞬間を切り取ると、電子は原子核のまわりに完全に対称には分布していません。 電子は絶えず運動しているため、ある瞬間には電子がわずかに片側に偏り、一時的な双極子(瞬間双極子、instantaneous dipole)が生じます。

この瞬間双極子が隣の分子の電子雲を歪ませ、誘起双極子を生じさせます。 瞬間双極子と誘起双極子は常に引き合う向きに配置されるため、時間平均しても正味の引力が残ります。 この力を分散力(dispersion force)、またはロンドン力(London force)と呼びます。

分散力が無極性分子にも働く理由

無極性分子の双極子モーメントは時間平均するとゼロですが、ある瞬間にはゼロではありません。

瞬間双極子が生じると、それが隣の分子に誘起双極子を引き起こし、両者は必ず引き合う向きに配置されます。 瞬間双極子の向きは時々刻々と変化しますが、誘起双極子は常にそれに「追従」するため、引力は消えません。

この仕組みにより、永久双極子を持たない分子であっても、分子間引力が存在し、十分に冷却すれば液化・固化します。 希ガス(He, Ne, Ar など)が極低温で液化する事実は、分散力の存在を示しています。

分散力と分極率 ── 「分子量が大きいほど強い」の本質

分散力の強さは、分子の分極率 $\alpha$ に強く依存します。 セクション3で述べたように、分極率は電子数が多く電子雲が広がっている分子ほど大きくなります。

これが、高校で学ぶ「分子量が大きいほどファンデルワールス力が強い」というルールの本質です。 分子量が大きい分子は一般に電子数が多く、分極率が大きいため、分散力が強くなります。 正確には「分子量」ではなく「分極率」が分散力を決めていますが、分子量と分極率にはおおむね正の相関があるため、高校のルールは多くの場合正しく機能します。

3成分のまとめ

成分 別名 相互作用する双極子 依存する量
配向力 ケーソム力 永久双極子 ─ 永久双極子 $\mu_1, \mu_2$(両方の永久双極子モーメント)
誘起力 デバイ力 永久双極子 ─ 誘起双極子 $\mu$(永久双極子)と $\alpha$(相手の分極率)
分散力 ロンドン力 瞬間双極子 ─ 誘起双極子 $\alpha_1, \alpha_2$(両方の分極率)

3つの成分はいずれも「双極子が別の双極子を引きつける」という共通の原理に基づいています。 違いは、その双極子が「永久的なもの」か「誘起されたもの」か「瞬間的なもの」かという点だけです。

「ファンデルワールス力 = 分散力」ではない

誤解:ファンデルワールス力と分散力は同じものである。

正しい理解:ファンデルワールス力は、配向力・誘起力・分散力の3成分の総称です。 分散力はその中の1成分にすぎません。 ただし、多くの分子では分散力が支配的な成分であるため、混同されやすくなっています。 たとえば、$\text{HCl}$ のような極性分子でも、分子間力全体に占める分散力の割合は約 81% であり、配向力は約 15%、誘起力は約 4% にすぎません。

分子間力の距離依存性

3つの成分はいずれも、分子間距離 $r$ が大きくなると急速に弱くなります。 配向力・誘起力・分散力はすべて、相互作用エネルギーが $r^{-6}$ に比例します。 共有結合やイオン結合に比べて距離依存性がはるかに急であるため、分子間力は近距離でのみ有効に働き、結合エネルギーも小さくなります。

この $r^{-6}$ 依存性は、分子間力の引力項としてファンデルワールスの状態方程式の補正項に組み込まれています (📖 C-6-2 実在気体)。

ここまでで、ファンデルワールス力の3成分をすべて双極子の相互作用として整理しました。 次のセクションでは、この枠組みの中で水素結合を捉え直し、「なぜ水素結合は特に強いのか」を理解します。

5水素結合 ─ なぜ特別に強いか

水素結合の本質は「極めて強い双極子-双極子相互作用」

高校では、水素結合を「F, O, N に結合した H が、別の分子の F, O, N の非共有電子対と形成する結合」として学びます。 この記述は正しいのですが、なぜ F, O, N だけが特別なのか、なぜ他の元素では水素結合が生じにくいのかは説明されません。

セクション4で整理した双極子の相互作用の枠組みを使えば、水素結合の特殊性は次の2つの要因から理解できます。

要因1:大きな双極子モーメント

F, O, N は 📖 C-1-3 で学んだように、電気陰性度が非常に大きい元素です(F: 4.0, O: 3.4, N: 3.0)。 これらの元素と水素(電気陰性度 2.2)の間の電気陰性度差は大きく、結合の双極子モーメントが大きくなります。

たとえば O-H 結合では、結合電子対が O 側に強く引き寄せられ、$\text{O}^{\delta-}\text{-H}^{\delta+}$ のように大きく分極します。 この大きな双極子モーメントが、セクション4で述べた配向力(永久双極子-永久双極子の相互作用)を非常に強くします。

要因2:小さな原子サイズによる接近

水素原子は全元素の中で最も小さい原子です。 H には電子が1つしかなく、その電子が結合に使われると、H の周りにはほとんど電子雲がありません。 事実上、むき出しの陽子に近い状態です。

このため、$\text{H}^{\delta+}$ は相手分子の $\text{F}^{\delta-}$, $\text{O}^{\delta-}$, $\text{N}^{\delta-}$ の非共有電子対に非常に近づくことができます。 双極子-双極子の相互作用エネルギーは距離の6乗に反比例する($r^{-6}$)ため、距離が少しでも近づくと引力は急激に強くなります。

つまり、水素結合が特別に強い理由は、「大きな電気陰性度差による大きな双極子モーメント」と「水素原子の小ささによる短い接近距離」という2つの要因が重なることにあります。 水素結合はファンデルワールス力とは別種の力ではなく、双極子-双極子相互作用が「最大化」された特殊なケースです。

水素結合が特に強い2つの理由

1. 大きな双極子モーメント:F, O, N は電気陰性度が大きく、H との結合で大きな電荷の偏りが生じる。

2. 短い接近距離:H は最も小さな原子であり、結合電子が相手に渡った後はほぼむき出しの正電荷として振る舞う。相手の非共有電子対に非常に近づけるため、相互作用が極めて強くなる。

この2つが重なるのは F, O, N と H の組み合わせだけであり、これが「水素結合は F, O, N に限定される」というルールの根拠です。

水素結合の強さ ── 共有結合との比較

水素結合のエネルギーは、典型的には 10〜40 kJ/mol 程度です。 これは通常のファンデルワールス力(1〜10 kJ/mol 程度)よりも明らかに大きいですが、 共有結合(150〜500 kJ/mol 程度)に比べるとはるかに小さい値です。

相互作用の種類 エネルギーの目安(kJ/mol)
共有結合 150〜500 O-H 結合:463
水素結合 10〜40 $\text{O-H} \cdots \text{O}$:約 20
ファンデルワールス力(分散力) 1〜10 $\text{CH}_4$ 間:約 1.3

水素結合のエネルギーは共有結合の約 1/10〜1/20 ですが、ファンデルワールス力の数倍〜数十倍に達します。 この中間的な強さが、水や氷、DNA の二重らせん、タンパク質の立体構造など、生体分子の機能に本質的な役割を果たしています。

水素結合の方向性

水素結合には、通常のファンデルワールス力にはない方向性があります。 $\text{X-H} \cdots \text{Y}$(X, Y は F, O, N)の配置において、X-H 結合と $\text{H} \cdots \text{Y}$ がなす角度が 180度(直線状)に近いほど安定です。

これは、$\text{H}^{\delta+}$ が $\text{Y}^{\delta-}$ の非共有電子対の方向に正対するとき、 双極子-双極子の引力が最大になるためです。 氷の結晶構造で水分子がすきまの多い正四面体的な配置をとるのは、この方向性の制約によるものです。

ここまでで、水素結合を含む分子間力のすべてを、双極子の相互作用という統一的な視点から理解しました。 次のセクションでは、この理解を使って、具体的な分子の沸点の大小を予測します。

6応用 ─ 沸点の大小を統一的に予測する

セクション4・5で整理した分子間力の知識を使って、分子の沸点を予測する手順をまとめます。 沸点は「液体の分子間力にうちかって分子が気体になるのに必要な温度」ですから、分子間力が強いほど沸点は高くなります。

沸点予測の3ステップ

  1. 水素結合の有無を確認する:分子中に F-H, O-H, N-H 結合があり、かつ相手分子に F, O, N の非共有電子対があれば、水素結合が形成される。水素結合がある分子は、ない分子より大幅に沸点が高い
  2. 極性の有無を確認する:分子の双極子モーメントが $\mu > 0$(極性分子)であれば、配向力と誘起力が加わる。同程度の分子量なら、極性分子は無極性分子よりやや沸点が高い
  3. 分子量(分極率)を比較する:上の2つの条件が同じ場合、分子量が大きい(分極率が大きい)ほど分散力が強く、沸点が高い

応用例1:ハロゲン化水素の沸点

17族元素の水素化合物(HF, HCl, HBr, HI)の沸点を比較します。

分子 分子量 沸点(${}^\circ\text{C}$) 主な分子間力
$\text{HF}$ 20 19.5 水素結合 + 配向力 + 誘起力 + 分散力
$\text{HCl}$ 36.5 $-85$ 配向力 + 誘起力 + 分散力
$\text{HBr}$ 81 $-67$ 配向力 + 誘起力 + 分散力
$\text{HI}$ 128 $-35$ 配向力 + 誘起力 + 分散力

HF だけが異常に高い沸点を示します。これは F の電気陰性度が大きく、F-H 結合で水素結合が形成されるためです。

HCl, HBr, HI の3つを見ると、分子量の順に沸点が上昇しています。 これらはいずれも極性分子ですが、沸点の順序を決めているのは主に分散力です。 HI は電子数が多く分極率が大きいため、分散力が HCl や HBr より強くなります。

応用例2:16族水素化合物の「異常な沸点」

16族元素の水素化合物($\text{H}_2\text{O}$, $\text{H}_2\text{S}$, $\text{H}_2\text{Se}$, $\text{H}_2\text{Te}$)の沸点を見ます。

分子 分子量 沸点(${}^\circ\text{C}$) 水素結合
$\text{H}_2\text{O}$ 18 100 あり(O-H 結合)
$\text{H}_2\text{S}$ 34 $-60$ なし
$\text{H}_2\text{Se}$ 81 $-41$ なし
$\text{H}_2\text{Te}$ 130 $-2$ なし

$\text{H}_2\text{S}$, $\text{H}_2\text{Se}$, $\text{H}_2\text{Te}$ の3つは分子量順に沸点が上昇しており、分散力の増加で説明できます。 $\text{H}_2\text{O}$ だけが分子量最小にもかかわらず沸点が飛び抜けて高いのは、O-H 結合による水素結合が存在するためです。

なぜ $\text{H}_2\text{S}$(S の電気陰性度 2.6)では水素結合が有効でないのでしょうか。 セクション5で述べた2つの要因から理解できます。 S は O に比べて電気陰性度が小さい(O: 3.4 → S: 2.6)ため、S-H 結合の双極子モーメントが小さくなります。 さらに、S は O より原子半径が大きいため、$\text{H}^{\delta+}$ と $\text{S}^{\delta-}$ の接近距離が長くなり、相互作用エネルギーが低下します。 この2つの効果が重なり、$\text{H}_2\text{S}$ の分子間力は水素結合的な寄与がほとんどなくなります。

応用例3:分子の形と分散力

分散力は分子の「形」にも依存します。同じ分子式でも、細長い分子は球状の分子より分散力が強くなります。

たとえば、ペンタン $\text{C}_5\text{H}_{12}$ の異性体を比較します。

異性体 構造 沸点(${}^\circ\text{C}$)
$n$-ペンタン 直鎖状 36
イソペンタン(2-メチルブタン) 分岐あり 28
ネオペンタン(2,2-ジメチルプロパン) 球状に近い 9.5

3つとも分子式は $\text{C}_5\text{H}_{12}$ であり、電子数も同じです。 しかし、直鎖状の $n$-ペンタンは隣の分子と接触する面積が大きく、多くの電子が同時に相互作用するため、分散力が強くなります。 球状に近いネオペンタンは接触面積が小さいため、分散力が弱くなります。

分極率の概念を使えば、これは次のように説明できます。 細長い分子は電子雲が一方向に広がっているため、その方向の分極率が大きくなります。 球状の分子は電子雲がコンパクトにまとまっているため、どの方向の分極率も比較的小さくなります。

「極性が大きいほど沸点が高い」は常に成り立つか

誤解:極性分子は無極性分子より常に沸点が高い。

正しい理解:これは分子量が同程度の場合にのみ成り立ちます。 たとえば、$\text{HCl}$(極性、分子量 36.5、沸点 $-85 \; {}^\circ\text{C}$)は $\text{Br}_2$(無極性、分子量 160、沸点 $59 \; {}^\circ\text{C}$)より沸点がはるかに低くなります。 $\text{Br}_2$ は分子量が大きく分極率が非常に大きいため、分散力だけで $\text{HCl}$ の配向力 + 分散力を上回ります。 沸点の比較では、分子量の違いが大きい場合は分散力の効果が支配的になることに注意が必要です。

7つながりマップ

まとめ
  • ファンデルワールス力は、配向力(永久双極子-永久双極子)、誘起力(永久双極子-誘起双極子)、分散力(瞬間双極子-誘起双極子)の3成分からなり、すべて双極子の相互作用として統一的に理解できます。
  • 分散力は、電子の瞬間的な偏り(瞬間双極子)が隣の分子に誘起双極子を引き起こすことで生じます。 無極性分子にも働き、多くの分子では分子間力の最大の成分です。 分子量(分極率)が大きいほど強くなります。
  • 水素結合は、双極子-双極子相互作用が「最大化」された特殊なケースです。 F, O, N の大きな電気陰性度と水素原子の小ささという2つの要因が重なることで、通常のファンデルワールス力の数倍〜数十倍の強さになります。
  • 沸点の予測は、(1) 水素結合の有無、(2) 極性の有無、(3) 分子量(分極率)の大小の順に判断します。 ただし、分子量の差が大きい場合は分散力が支配的になります。

9確認テスト

理解度チェック

Q1. ファンデルワールス力の3成分を挙げ、それぞれがどのような双極子の組み合わせによる相互作用かを述べてください。

クリックして解答を表示 (1) 配向力(ケーソム力):永久双極子と永久双極子の相互作用。(2) 誘起力(デバイ力):永久双極子と誘起双極子の相互作用。(3) 分散力(ロンドン力):瞬間双極子と誘起双極子の相互作用。いずれも「双極子が別の双極子を引きつける」という共通の原理に基づいています。

Q2. 無極性分子である $\text{Ar}$ が 87 K($-186 \; {}^\circ\text{C}$)で液化する事実を、双極子の相互作用の観点から説明してください。

クリックして解答を表示 $\text{Ar}$ は永久双極子を持ちませんが、電子の運動により瞬間双極子が生じます。この瞬間双極子が隣の $\text{Ar}$ 原子の電子雲を歪ませて誘起双極子を引き起こし、両者の間に分散力(ロンドン力)が働きます。この分散力により、十分に温度を下げると(分子の熱運動が弱まると)$\text{Ar}$ は液化します。

Q3. 水素結合が特に強い理由を、電気陰性度と原子サイズの2つの観点から説明してください。

クリックして解答を表示 (1) F, O, N は電気陰性度が大きいため、H との結合で大きな双極子モーメントが生じ、双極子-双極子相互作用が強くなる。(2) H は最も小さな原子であり、結合電子対が相手側に引き寄せられるとほぼむき出しの正電荷として振る舞う。このため相手の非共有電子対に非常に近づくことができ、距離の6乗に反比例する相互作用エネルギーが極めて大きくなる。

Q4. $n$-ペンタンとネオペンタン(2,2-ジメチルプロパン)はどちらも分子式 $\text{C}_5\text{H}_{12}$ ですが、沸点は $n$-ペンタンの方が高くなります。その理由を分散力の観点から説明してください。

クリックして解答を表示 $n$-ペンタンは直鎖状であり、隣の分子と接触する面積が大きいため、多くの電子が同時に相互作用し、分散力が強くなります。ネオペンタンは球状に近い形をしており、接触面積が小さいため、分散力が弱くなります。分子式(電子数)が同じでも、分子の形によって実効的な分極率が異なり、分散力の大きさに差が生じます。

10演習問題

問1 A 基本

次の(a)〜(d)の分子間力について、それぞれどの成分(配向力・誘起力・分散力・水素結合)が主に関与しているかを答えてください。

(a) $\text{Ne}$ と $\text{Ne}$ の間に働く力

(b) $\text{HCl}$ と $\text{HCl}$ の間に働く力

(c) $\text{HCl}$ と $\text{Ar}$ の間に働く力

(d) $\text{H}_2\text{O}$ と $\text{H}_2\text{O}$ の間に働く力

クリックして解答を表示
解答

(a) 分散力のみ。$\text{Ne}$ は無極性であり、永久双極子を持たないため、配向力・誘起力は働きません。

(b) 配向力 + 誘起力 + 分散力。$\text{HCl}$ は極性分子なので3成分すべてが寄与します(分散力が最大の寄与)。

(c) 誘起力 + 分散力。$\text{HCl}$ の永久双極子が $\text{Ar}$ に誘起双極子を引き起こします。

(d) 水素結合 + 配向力 + 誘起力 + 分散力。$\text{H}_2\text{O}$ は O-H 結合を持ち、O の非共有電子対と水素結合を形成します。

問2 B 比較・論述

次の4つの分子を沸点の高い順に並べ、その理由を分子間力の観点から説明してください。

$\text{CH}_4$(分子量 16)、$\text{SiH}_4$(分子量 32)、$\text{NH}_3$(分子量 17)、$\text{PH}_3$(分子量 34)

参考データ:沸点は $\text{CH}_4$: $-161 \; {}^\circ\text{C}$、$\text{SiH}_4$: $-112 \; {}^\circ\text{C}$、$\text{NH}_3$: $-33 \; {}^\circ\text{C}$、$\text{PH}_3$: $-87 \; {}^\circ\text{C}$

クリックして解答を表示
解答

沸点の高い順:$\text{NH}_3 > \text{PH}_3 > \text{SiH}_4 > \text{CH}_4$

解説

$\text{NH}_3$ は N-H 結合を持ち、N の非共有電子対と水素結合を形成するため、分子量が小さいにもかかわらず最も沸点が高くなります。

$\text{PH}_3$ は P-H 結合を持ちますが、P の電気陰性度(2.2)は N(3.0)より小さく、原子半径も大きいため、水素結合は実質的に形成されません。分子量が $\text{SiH}_4$ とほぼ同じですが、$\text{PH}_3$ は極性分子(三角錐形、$\mu > 0$)であるのに対し $\text{SiH}_4$ は無極性分子(正四面体形、$\mu = 0$)であるため、$\text{PH}_3$ の方が配向力の分だけ沸点が高くなります。

$\text{CH}_4$ は無極性かつ分子量が最も小さいため、分散力が最も弱く、沸点が最も低くなります。

問3 B 計算・比較

$\text{HCl}$ の分子間に働くファンデルワールス力を構成する3成分の寄与の割合(概数)は、分散力 81%、配向力 15%、誘起力 4% とされています。 この事実から、次の問いに答えてください。

(a) $\text{HCl}$ は極性分子ですが、分子間力の主要部分は分散力です。この事実は何を意味していますか。

(b) $\text{HCl}$ の全分子間力(ファンデルワールス力)のエネルギーを約 2.0 kJ/mol とするとき、分散力の寄与は何 kJ/mol ですか。

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解答

(a) 極性分子であっても、分子間力の中で配向力が占める割合は必ずしも大きくありません。分散力はすべての分子に普遍的に働き、特に電子数が多い分子では支配的な成分になります。分子間力の強さを考える際には、永久双極子モーメントだけでなく、分極率(電子数・分子の大きさ)を考慮する必要があることを意味しています。

(b) $2.0 \times 0.81 = 1.6 \; \text{kJ/mol}$

問4 C 論述

エタノール $\text{C}_2\text{H}_5\text{OH}$(分子量 46、沸点 $78 \; {}^\circ\text{C}$)とジメチルエーテル $\text{CH}_3\text{OCH}_3$(分子量 46、沸点 $-25 \; {}^\circ\text{C}$)は、分子式がいずれも $\text{C}_2\text{H}_6\text{O}$ です。

(a) 両者の沸点に大きな差がある理由を、分子間力の観点から説明してください。

(b) ジメチルエーテルの沸点が $\text{C}_3\text{H}_8$(プロパン、分子量 44、沸点 $-42 \; {}^\circ\text{C}$)より高い理由を説明してください。

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解答

(a) エタノールは O-H 結合を持つため、分子間で水素結合($\text{O-H} \cdots \text{O}$、約 20 kJ/mol)を形成します。ジメチルエーテルは O-H 結合を持たないため水素結合を形成できません(O に非共有電子対はありますが、H-O 結合がないため水素結合の「供与体」になれません)。両者の分子量はほぼ同じであり分散力もほぼ等しいので、沸点の差は水素結合の有無によって生じています。

(b) ジメチルエーテルは折れ線形の C-O-C 結合を持ち、O の電気陰性度が大きいため極性分子です。一方、プロパンは無極性分子です。分子量がほぼ同じ場合、極性分子は配向力・誘起力の分だけ分子間力が強くなるため、ジメチルエーテルの方がプロパンより沸点が高くなります。